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経師谷
【きょうじがやつ】


鎌倉市材木座にあった谷名。「鎌倉志」「攬勝考」によると,弁谷の北,桐谷の西にある谷だという。「新編相模」はこの谷の北方が比企谷につながると記している。経師職人が住んでいたことから名づけられたという(金兼稿)。「ちょうじが谷」と俗称されたらしい(鎌倉志)。元久2年6月畠山重忠・重保父子が北条氏に討たれたが,「吾妻鏡」元久2年6月23日条によると,この騒動に関連して三浦義村は榛谷重朝父子を「経師谷口」で謀殺した。これが経師谷の初見である。同書建長5年12月22日条には,経師谷口から出火し,北風にあおられて材木座高御倉まで延焼したとある。元徳元年に没した北条重村の屋敷が経師谷にあったらしい(金沢文庫古文書/県史資2-2813)。正嘉元年6月25日の「肝要抄奥書」(東寺金剛蔵聖教目録/同前1-461)から「経師谷御坊」という寺があったことがわかる。下って天文3年11月13日「伝法寺日慈院屋打渡状」(妙本寺文書/同前3下-6666)によると「経師谷尊養院屋」が妙本寺常住院に寄せられている。つまりこの谷に尊養院なる寺があったわけである。尊養院屋敷分4貫102文は天正3年3月7日布施康朝に渡された(同前8278)。同年12月10日康朝と父康能は妙本寺常住院再興のためこの地を常住院に寄進している(同前8317)。そして,この寄進により,天正9年正月19日には布施氏の建立した蓮勝寺が妙本寺末寺中の首座とされたという(新編相模)。江戸期鎌倉郡大町村のうちに経師ケ谷が見える(同前)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066688