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権太坂
【ごんたざか】


横浜市保土ケ谷区権太坂1・2丁目境にある坂。旧東海道が通過。東側を新道の国道1号が通る。江戸期は,武蔵国と相模国の境に位置し,江戸から上方へ向かう場合,まず当坂をのぼり,続いて二番坂,武相国境の境木(さかいぎ)をすぎると下りの焼餅坂,江戸から9里の品濃(しなの)の一里塚を過ぎると品濃坂へと続く。国境を挟んで急坂が2つずつ,計4つあり,当坂だけでも高度差が30m余あり,街道の人夫はもちろん,旅人にとっても箱根に次ぐ難所といわれ,行倒れ人も多く,この坂の横には死人を投げ込む井戸があり,昭和36年の開発に伴う発掘では無数の人骨が発見された。江戸期には往来も多かったが,明治17年の新道開通,同20年の鉄道開通により,利用者は村人中心となり8mあった道幅も約半分になってしまったという。坂名は旅人が土地の老農に坂の名をたずねたところ,耳の遠い老農が自分の名を聞かれたと思い「権太」と答えたためといわれ,それまでは江戸から上方へ向かって最初の大きな坂のため一番坂と呼ばれ,次の二番坂と合わせて,東海道を下る旅人は一番坂・二番坂と数えて呼んだという(新編武蔵)。「境木小記念誌」にはもう1つの由来が紹介されている。境木地蔵堂の堂守であった藤田喜三郎翁の説によるもので,翁の曽祖父の権左衛門が代官藤原の指図によって二番坂から下を開いたもので,できた坂をその名に基づき権左坂と名づけたのであり,本来は権左坂であるという。坂開拓の鍬入れは万治2年8月15日であったという。さらに「江戸名所図会」には「品濃坂 或いは信濃,又科野に作る 俗に権太坂と呼べり。この地は武相の国境たり」とあって,品濃坂の俗称として紹介されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7066984