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曽我山
【そがやま】


小田原市にある山。東海道の国府津(こうづ)の北方4kmの大磯丘陵西端に連なる。単独峰の名称ではなく,南東から北西に延びる高山(246.1m)・不動山(327.7m)・浅間山など一帯の総称。南西山麓に約2万本の曽我梅林が広がり,観梅で知られる。また,ミカン畑が多い。山名は曽我氏の居城があったことに由来する。不動山には,文治3年曽我祐信が寄進したと伝えられる不動明王の石祠がある。曽我五郎・十郎兄弟は不動明王信仰が篤く,五郎が初め大山阿夫利神社の不動に祈願をかけていたが遠いので母の満江御前がここに移したとも伝え,今大山ともいう。またこの山の続きは剣沢山・大みで山ともいった。不動山と高山の間に六本松という所があり,芭蕉句碑がたつ。六本松周辺は南西麓の曽我側からは山彦山,北東麓の中村川沿いからは六本松山・曽我山峠と呼ばれ,ここを通る山越は大山道と呼ばれた(新編相模)。山麓・山中には曽我氏縁のものが多く,御殿場線下曽我駅近くの城前寺は曽我兄弟・義父曽我祐信・母満江御前の供養墓などがある。曽我城の土塁跡が墓所になっており,城前寺の名は城の大手前の意味から起こった。寺では毎年5月28日に傘焼き祭りが行われる。行事は建久4年曽我兄弟が富士のすそ野で父河津三郎祐泰の仇,工藤祐経を討った際,暗夜のため笠を燃やして松明とし本懐をとげた故事にならい仇討ち当日の5月28日に境内で傘を焼いて兄弟の霊を弔う。近くの宗我神社は宗我播磨守保慶の建立で曽我祐信が再興したといわれる曽我郷の総鎮守である。また,満江御前の墓や曽我祐信の墓と伝えらる宝篋印塔も山腹にある。元禄2年澄禅上人が荒行を行った澄禅窟や二宮尊徳遺髪塚などもあり,これらを結ぶハイキングコース・農道が整備され,相模湾・相模平野の眺望がよい。浅間山の山頂付近には無線中継所がある。不動山の北東面は採石場になっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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