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代官坂
【だいかんざか】


ヘキ坂ともいう。横浜市中区元町1・2丁目境から山手町(山手台地)へのぼる坂。古くは箕輪(みのわ)坂と呼ばれていたが,開港期に山手居留民の間でヘクト坂と併称され,さらに明治30年代に現在の代官坂となった。箕輪坂の名は「新編武蔵」等の地誌にも見られず,比定も困難だが,坂の近くの北方村の大地主箕輪家に由来し,明治17年の山手の区画変更の際は代官坂一帯が三ノ輪坂と命名されいてる。ヘクト坂の名は開港期のオランダ人で阿片貿易商のノールトフーク・ヘフトに由来する。彼はこの坂と山手通りの交差する一帯を借りたが,馬車の通れない細い道だったため自分の土地を削って坂を拡張した。このため,その一帯はヘフト・ヒルと呼ばれ,坂はヘフト坂からヘクト坂,さらに転化してヘキ坂と呼ばれた。代官坂の名は坂の途中にある横浜村の元名主石川家に由来する。石川家は代官ではない。横浜村周辺各村は開港期に旗本知行地から神奈川奉行所へ預りとなったので代官も存在しない。しかし,明治20~30年代,山手地区が高級住宅街に発展しつつある時,元町~山手間の道路名が変更されて,石川家が代官屋敷,箕輪坂が代官坂と呼ばれるようになった。代官呼称の要因はペリー提督が横浜村名主を町長と考えて表敬訪問したためなどのほか数多くの言い伝えがあるが,いずれも確実な根拠に乏しい。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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