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尾藤ケ谷
【びとうがやつ】


鎌倉市山ノ内,伝管領屋敷の向かい,浄智寺の東にある谷名。尾頭谷・鼻頭谷とも書く。山ノ内小泉家蔵の江戸期の古絵図もこの場所を「尾藤ケ谷」と明記している。北条泰時の家令尾藤左近将監景綱の屋敷跡といわれているが,「吾妻鏡」は景綱邸の位置を小町北西としており,尾藤谷景綱邸については明確ではない。しかし年月日未詳の尾藤某寄進状(田中文書/県史資1-504)によれば,「さかみの国山内のひとうのやつ正ほう寺の道よりおく入をかき□,山半さかゐをかきる」と見え,故尾藤左衛門入道代々相伝の屋地であると記されていることから,この谷が尾藤氏と関係のあることは確かであろう。延文5年9月29日,足利義詮は「山内庄尾藤谷屋地等」を極楽寺の末寺報恩寺に寄進している(極楽寺文書/同前3上-4373)。また円覚寺仏日庵の鶴隠周音は永禄8年6月17日に北条氏政から「山内鼻頭谷一雲屋敷」,銭3貫160文を,天正7年正月28日には鎌倉代官大道寺政繁から同屋敷の上成240文を寄進された(仏日庵文書/同前3下-7449・8477)。前出の尾藤某寄進状では,尾藤谷正法寺の道より奥に入り,山半さかいを限った地が悟性寺敷地として寄進されており,「鹿山略志」によるとこの谷に宝鏡寺という寺があったらしい。報恩寺・正法寺・悟性寺・宝鏡寺は現在廃寺となっている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7068704