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松葉谷
【まつばがやつ】


鎌倉市大町・材木座の安国論寺・長勝寺・妙法寺のある谷名。「新編相模」によるとこの谷は名越谷内の支谷であったという。建長5年日蓮が営んだ小庵(法花堂のち本国寺)のあったところとして知られ,安国論寺・長勝寺・妙法寺ともに本国寺旧跡であるとの伝えがある(新編相模など)。嘉暦3年11月21日の後醍醐天皇綸旨および同年11月23日の日印譲状(本圀寺文書/県史資2-2678・2679)に「松葉谷本国寺」また「本国寺鎌倉松葉谷」とあるのが初見。ただし,これらの文書は検討を要する。元応元年成立の「鎌倉殿中問答記録」の文保2年12月20日条に「名越松葉谷日印」と見える(改定史籍集覧27)。この日印は永仁2年に「相州松葉谷」で日朗の弟子となったという(同前)。なお室町期の日澄の撰という「日蓮聖人註画讃」には「同(建長五)年為諌国主,速自房州移于鎌倉名越松葉谷,栖小庵」とあり,日蓮は建長5年当地の小庵に移り住み,文応元年8月念仏者の襲撃をうけ,文永8年9月には平頼綱のためこの庵でとらえられたという(続群9上)。延徳5年4月20日の結城政朝安堵状(長勝寺文書/県史資3下-6400)によると,松葉谷法花堂屋地が久しく退転,鷲宮分と称していたのを結城政朝が正行院に法花堂本国寺屋地として宛行った。江戸期,大町村名主臼井六郎兵衛などが京都本国寺へあてた「松葉ケ谷之儀御尋ニ付申上候事」(妙本寺文書)がある。これによると,当時は妙法寺・安国(論)寺の間の山畑を松葉谷といったが,往古はこの南東までも名越松葉谷と唱えていた。しかしこの地には旧跡が多くその名が地名化したため松葉谷の範囲がせばめられたという。嘉永頃の「鶴岡八幡宮領并往還谷々小道分間図」(鶴岡八幡宮所蔵)は松葉谷の様子を詳しく示している。なお元禄2年刊行の「〈鎌倉名越松葉谷根本〉御小庵安国寺由来」には,この谷がもとは的場谷といったという伝えが載せられている。また松の木が多いことから松葉谷といわれたという。正応5年の聖教奥書(金沢文庫古文書)に「相州鎌倉松山草庵」とあるのも,松葉谷と関連があるかもしれない。最光寺(現横須賀市野比)・安穏寺(現横須賀市芦名)もかつて松葉谷にあったと伝えられる(新編相模)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7069058