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魚津浦
【うおづうら】


魚津市にある富山湾東岸の海浜。かつては小戸(おど)浦・小津(おづ)浦ともいった。「魚津古今記」に「風景甚だよしと,近郷の里民云ならわし,其名知らぬものなし。昔は広き浜にて,海際まで遙なりしに,次第に波近づき,今は名のみなり。されど其景色あるに依て,四季老若男女の興遊行とす」とある。古くから魚堵(うおづ)七軒といわれる漁村で,中世末期から富山湾の定置網漁業の繁栄とともに,「新川にての漁業所にて,実に魚津の名空しからず」(同前)といわれるまでに発展した。名物のホタルイカは春宵の波静かな海岸に青紫色に明滅してあえかな美を誇る。常願寺川河口(富山市)から魚津漁港に至る15km・沖合700mの群遊海面は,大正11年天然記念物,昭和27年特別天然記念物に指定された。春にはまた,「幻の竜宮」蜃気楼が見られる。昭和5年の魚津漁港改修時に,沖合の海底からスギを主とする埋没林が発掘された。直径3m・周囲12m・樹齢2,000年に及ぶ大木7~8本を含み,総計160余に達する。同時に縄文後期の土器も伴出。昭和10年天然記念物,同30年特別天然記念物に指定された。「万葉集」などにある「越の信濃(しなの)浜」にあたる魚津港があり,加賀藩は魚津を新川(にいかわ)郡統治の要として,郡代・町奉行を配し,藩米の出船所としたので,御蔵米や能登から魚津の御塩蔵に入る塩などの出入りでにぎわった。天明年間に7~200石積みの外海船13,1~2人乗り綱漁船18・釣船34・小魚取り船98であったという。明治13年,魚肥を積載した汽船がはじめて入港,近代港への一歩を踏み出す。米・酒・雑貨の移出,北海道からの米作用魚肥の移入,朝鮮・満州・ロシア沿海州との日本海貿易などで繁栄を見た。昭和5年信濃浜を中心に大改修を行い,同26年地方港湾に指定され,角川尻(かどかわじり)港が補助港として築港された。しかし,その後の輸送体系の変化,根拠地としていた北洋漁業の衰退などで,商港としても漁港としても昔日の面影はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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