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常願寺川
【じょうがんじがわ】


上新川(かみにいかわ)郡と中新川郡の境を西流し,富山市東部を北流して富山湾に往ぐ1級河川。県内5大1級河川の1つ。約48の支流を有する。流長約56km。古名は,流域の地名から水橋(みずはし)川・大森川・岩峅(いわくら)川などと呼ばれたが,出水なきを常に願うという住民の気持をこめて常願寺川の名が次第に定着したという。県南境の寺地山に源流を発する真川(まかわ)は立山カルデラを流れてきた湯川と合流して西流し,中新川郡立山町千寿ケ原(せんじゆがはら)で,立山西麓に源を発し西流する称名川と合流して常願寺川となる。その後,和田川・小口川を合流。上流部の両岸には段丘が発達し,下流で典型的な大扇状地を形成。この扇状地は神通(じんづう)川の扇状地とともに富山平野を形成。安政5年2月の大地震で鳶(とんび)山のカルデラ壁が崩壊し,直後の融雪期に土砂・岩石を伴った大洪水となった。県内一の荒れ川で,その後もたびたび水害をもたらしたが,明治24年の出水時に用水取入れ口が水没し,本格的な改修工事と左岸の用水合口化(常東合口用水)が始められた。源流部のカルデラ内の砂防工事は明治39年以来続けられ,現在も建設省が行っているが,毎年約100万tの土砂が流出して河床を高め,下流の大日橋付近では水田面より8mも高い天井川となっている。支流和田川の上流には大規模な有峰(ありみね)ダムがつくられ,ダムの周囲は自然公園として整備されている。「越中志徴」には「宝暦十四年調書に,常願寺川水上は立山南西の麓より流出,又地獄谷川,浄土山の西谷川,此三瀬正明ケ滝より上奥山にて段々落合,芦峅寺村領湯の谷落合まで正明川という。夫より池田館村預まで常願寺川という。右村領にて白岩川落,夫より海辺までを水橋川という」と見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7081944