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野積谷
【のづみだに】


婦負(ねい)郡八尾(やつお)町南西部に位置する山村地帯。東谷・室牧(むろまき)谷・仁歩(にんぶ)谷・大長谷の総称で,ノゾミとも呼ばれ野積四谷または単に四谷とも呼ばれた。この4つの各谷とほぼ同一の地域に明治22年野積村・室牧村・仁歩村・大長谷村が成立した。久安6年仁歩谷安部久蔵が鳥羽院へ蝋・糸・漆などを献上,仁安2年野積谷定書を受け,以後天正13年加賀藩領となるまで,毎年3月20日までに蝋53貫余・綿45貫余・漆187丸余・金子50枚4両を禁中へ上納,裁許人として安部源五兵衛・渡辺佐五右衛門・花房彦次郎・平野伝兵衛・大竹弥九郎・柿本又衛門・武藤弥助なとが累代交代勤務した(飛州吉田善九郎書上帳)。また野積谷は古来国司・守護の支配を受けず,直接公家裁許の地であり,上洛道中用として菊と桐の紋を打った道中伝馬絵符が与えられていた(富山古城記)とされるが,確実な資料に乏しく,その初見はわずかに貞治5年の足利義詮下文に「佐々木高満の軍功を賞し,既有の近江国河田郷と取替えて,越中国野積保を与える」とある(阿部敏雄所蔵文書)。当地では禁裡百姓と自称し,紫宸殿造と称する民家に住む。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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