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能登島?
【のとじま】


島の地(しまのじ)・袋島・八太郎(やたろう)((はつたろう))島・蝦夷(えぞ)島ともいう。能登半島東岸の中央部,七尾湾内にある島。東は富山湾に臨む。島名の由来は,能登郡に属する島,能登国の島の2説がある。東西約14km・南北約7km・周囲約71km・面積47.21km(^2)。七尾港から南岸の須曽まで約6.5km。北西部の通鼻から中島町長浦の間は半島との最短距離で365m。属島に南湾の寺島・カラス島・コシキ島,北湾の大島・水越島・重蛇(じゆうじや)島・黒島などがあるが,いずれも無人。沈降により半島と分離したため,複雑な海岸線を呈し,北西部の鴫島(しぎしま)入江・箱名(はこな)入江は大きく湾入した溺れ谷で,ハマチ養殖などに利用。平坦地は少ないが,低平な定高性の丘陵のほぼ中央に四村塚(よむらつか)山(標高196.8m)がある。第三紀層が全体を覆い,基盤の安山岩が露出,西部には穴水累層の火山岩類,東部には二穴泥岩層が,また半浦から屏風崎の一帯には和倉珪藻泥岩層が分布する。半浦では明治期から大正期に燐鉱が採掘され,現在の半の浦港の防波堤は海底からの採掘のために構築されたもの。一方,佐波でも明治末期から大正期にかけてマンガン鉱が採掘された。佐波・向田・曲(まがり)・通(とおり)・鰀目(えのめ)・祖母ケ浦(ばがうら)などに縄文遺跡があり,平安期には伊勢神宮の御厨として船材等を伐採した(郷土辞彙)。国司として訪れた大伴家持は「とぶさたて船木伐るという能登の島山 今日みれば木立繁しも 幾代神びそ」と詠んでいる(万葉集)。近世には野崎・日出ケ島・二穴・佐波・須曽・半の浦・田尻・久木・閨・通・無関・向田・祖母ケ浦・曲・南八ケ崎・鰀目・長崎・別所・小浦が流刑地のため半島との交通が制約され,日出ケ島・祖母ケ浦・高毛の渡しのほかは渡航が禁止された(鹿島郡誌)。定期航路は,明治18年に七尾・佐波間,向田・曽良間に開かれたが,陸上交通は遅れ,昭和29年の離島指定当時,自動車の保有は皆無。同40年に定期バスを運行,翌41年にはフェリーボートが七尾~佐波間を連絡した。現在,昭和57年完成をめざし,屏風崎と七尾市石崎町間の屏風瀬戸をまたぐ県営有料道路能登島大橋を含む県道能登島和倉線を建設中。明治23年,東島・中乃島・西島の3村が発足,大正8年の人口は6,302人,昭和30年合併,1島1町の能登島町となる。主産業は農業で,水稲・タバコ栽培のほか,養鶏・養豚などがみられ,果樹や野菜の産地化を計画中。北湾に面する曲に昭和43年に県増殖試験場が開設され,マダイ・クルマエビ・アワビ・ワカメなどの種苗生産・放流・増養殖・魚病対策技術などの研究が進行中。地方港湾1,第1種漁港5,第2種漁港1があり,定置網・刺網・ナマコ桁網・モズク採取・ハマチ養殖が営まれる。能登半島国定公園に属し,向田の火祭,海水浴,マツタケ採り,キジ猟などに県内外から年間約10万人余の観光客が訪れる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7089005