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木ノ芽峠
【きのめとうげ】


木ノ目峠,木辺峠とも書き,木部山ともいう。南条郡今庄町二ツ屋と敦賀市新保の間にある標高628mの峠。嶺北と嶺南の境界でもある。峠名の由来は不明。峠下の二ツ屋と新保には宿駅があり,木ノ芽道,北陸街道西近江路が通っていた。天長7年にみえる上毛野陸奥公が開いた鹿蒜嶮道は木ノ芽峠とされ,以後北陸の関門として重要性が増す。天正6年に柴田勝家が栃ノ木峠を改修すると,官道から除外されたが,敦賀経由で京へ行く道の重要性は変わらなかった。近世には番所が置かれている。峠一帯は角閃石花崗岩が分布し,峠西側の急坂には同石の石畳がある。また敦賀(木ノ芽)断層が鉢伏山地を横切る鞍部にあたる。平安末期~鎌倉期には西行・平維盛・木曽義仲・親鸞らが通り,南北朝期には新田義貞,戦国期には蓮如や朝倉一族,豊臣秀吉・織田信長らが越え,しばしば戦場になった。「奥の細道」には「かへる山に初雁をききて,十四日夕ぐれ敦賀の津に宿を求む」とあり松尾芭蕉も通行している。峠の東側には今も秀吉が与えた釜をもつ藁ぶき屋根の前川茶屋があり,西側には道元禅師の歌碑がたつ。建長5年8月に病気で京に帰る道元と,従い来た徹通が別れた所で,道元は「草の葉にかどでせる身の木部山雲に路ある心地こそすれ」と詠んでいる。二ツ屋方向500mに弘法大師作といわれる言奈地蔵がある。昔馬子が地蔵の前で旅人を殺して金を奪った。地蔵に気が付き「地蔵言うな」と言うと,「地蔵は言わぬが,おのれ言うな」と言い返されたので,感きわまって改心し,善人になった。その後この峠で若い旅人と道連れになり,以前あった事を話したところ,親のかたきとわかり,敦賀で討たれたという話が伝わる。峠のすぐ南に御前水がある。親鸞聖人が錫杖で地面を突いたところ,水が湧き出たという。前川茶屋の裏手には木ノ芽城と西光寺丸の城跡がある。峠道は主要地方道今庄敦賀線であるが,登山道しかない。峠の近くに広域基幹林道栃ノ木山中線が通り,自動車で峠近くまで行くことができる。なお,JR北陸トンネルは峠のすぐ東下を通過している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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