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田倉谷
【たくらだん】


日野川の支流田倉川流域の東西に長い約6kmの谷。明治22年に久喜(くき)から奥の11か村で宅良(たくら)村をつくり,谷口付近の八乙女(やおとめ),社谷(やしろだん),燧(ひうち)は湯尾(ゆのを)村に合併した。昭和30年には共に今庄町に合併。杉谷(すぎたに)と杣木俣(そまきまた)は以前は池田郷に属していた。高倉(こうくら)と芋ケ平(いもがたいら)は木地師起源の村であるが共に廃村となる。杣木俣からは大坂を,芋ケ平からは田倉坂を通り池田町に至る道があったが今は廃道。「源平盛衰記」に平泉寺の長吏斎明が兵を引いて大野郡から池田越を通ってこの谷に入り,燧城に向かったことを記す。幕末の元治元年には武田耕雲斎率いる水戸浪士が大坂を越えてこの谷に入る。以前は旧高倉から高倉峠に至る道があり,岐阜県徳山村との交流も多かった。「今立町誌」には鎌倉道ともいう。現在は旧芋ケ平を通り峠に向かう広域基幹林道塚線が開通している。瀬戸は交通の要地で,塩の中継地点でもあった。農業と林業が産業の中心であるが,今庄,武生,敦賀などへの通勤者も多い。以前は木地製品とともに,田倉紙も重要で江戸初期から昭和の初め頃まで生産していた。旧芋ケ平から約600m北には蓮如が敵から身を隠したという石灰岩の小洞穴があり,この石灰岩からは古生代二畳紀のサンゴ,フズリナの化石が出る。小倉谷(おぐらだん)には嘉慶元年に創建された曹洞宗の慈眼寺があり,瀬戸には江戸中期の築山泉水を持つ国名勝の伊東氏庭園がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7093560