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栃ノ木峠
【とちのきとうげ】


古く栃ノ木坂,また虎杖崩(いたどりくずれ),酌子峠ともいう。南条郡今庄町板取と滋賀県余呉町中河内の間にある標高538.8mの峠。峠名の由来は,峠の北に栃の大木(今も巨木があり,昭和49年に県天然記念物となった)があったこと,峠の北麓に酌子屋村,のちの岩桜村(現在廃村)があったことによる。虎杖崩は詳細不明であるが,崩は峠下の断層の崩壊によるか。北陸街道の東近江路(北国街道)が通り,現在は国道365号となる。峠は南北に延びる柳ケ瀬断層の断層谷が県境尾根を刻む断層鞍部にあたり,北流する孫谷川と南流する高時川の分水界となる。「源平盛衰記」には虎杖崩が険難であると記す。「朝倉始末記」によれば足利義昭が永禄11年7月に一乗谷から美濃へ,天正3年織田信長は越前の一向一揆を平定したのち岐阜へこの峠を越えた。同6年に柴田勝家は板取から近江木之本の間の道路を大改修し,信長の安土城と北ノ庄を結ぶ幅3間の道とした。以後この道は官道となり重要性を増す。近江国境を控えて,近世,福井藩は峠下の上板取に関所を置いた。峠の近江側には茶店があり,越前側の少し北に一里塚があった。街道の整備とともに上板取は宿場としても栄えた。福井藩主等も参勤交代にこの道を通った。殿様が杓子屋村にあった薄墨桜に,岩桜と命名し一人扶持を与えたという話,越前守忠直が峠で腹痛を起こしたが,栃の実の粉を食べて治ったという話もある。明治20年には海岸部を通る敦賀街道が,明治29年には北陸本線が開通してこの峠はさびれたが,国道365号が開通してからまた回復している。しかし,冬季は雪のため通行止となる。なお,「地名辞書」は「源平盛衰記」などに見える能美(のうみ)越をこの峠道に比定している。日野川上流を能美川ともいったことによるものである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7093947