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疋田舟川
【ひきだふながわ】


敦賀市疋田から児屋川に通じた幅約3mの人工水路。笙ノ川沿いに設けた疎水で,疋田まで舟を通じることを目的としたのでこの名がある。琵琶湖~敦賀間に疎水を通す計画は古来幾度かあったが,文化13年幕府と小浜藩の手で一部実行に移されたもの。同年3月小浜藩家老三浦勘解由左衛門を普請奉行として着工し,4か月後に完成,8月に舟8艘に米23俵を載せ,舟引60人で通船式をした。水路は道口で笙ノ川を離れ,長沢を経て敦賀へ達した。翌14年には丸岡城米500俵,加州城米2,094俵,新城城米4,096俵などを運んだ。ほかに上り荷は海産物,下り荷は茶が主であった。疋田より上流も開削されたが,詳細は不明。天保5年馬借座の訴願で廃止したが,安政4年再開削,4月に着工,12月に開通した。文化年間の旧水路を使用したが,敦賀田中(気比宮前御手洗川)から児屋川に通じたのを,敦賀土橋から笙ノ川に変更した。市橋の南で笙ノ川を筧桁で越え,幅7尺・長さ約3間の船は綱で引くか,棹で押した。疋田には船溜りを設け,川船を回転させた。川幅が狭くて舟は2艘並べず,1回約3艘で1日数回上下した。再開後も馬借の反対で運送は活発でなく,間もなく廃止。慶応2年5月,笙ノ川の洪水で舟川は大破した。今は疋田の集落を通る部分に僅かに水路が残るのみである。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7094687