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堀越峠
【ほりこしとうげ】


遠敷(おにゅう)郡名田庄村納田終(のたおい)と京都府美山町鶴ケ岡との県境にある峠。標高約510m。峠名は昔峠に設けられた関の堀によるとする説があるが,峠下の納田終棚田から峠に向かう旧道は堀越谷を通っており,これとかかわるか。古来小浜・高浜と丹波・京とを結ぶ丹波街道(周山街道)が通り,今は国道162号となる。小浜から南川に沿って名田庄村三重を経て納田終へ,また高浜から福谷坂峠・石山坂峠を越えて納田終へ,峠を越えて美山町鶴ケ岡から平屋~深見峠・周山・笠峠を経由して京に至り,若狭と京を結ぶ最短路として,物資の流通にとどまらず京文化の流入する道として大きな役割を果たした。棚野坂・知井坂とともに小浜線が開通するまでは,若狭の海産物や遠く北海道・東北方面から運ばれてきたニシン・昆布などが鶴ケ岡へ輸送された。江戸中期から小浜藩発行の印札を携帯して,300人あまりの行商人が国境の諸峠を越えたという。俳人の与謝蕪村もこの峠を越えて「夏山や通いなれたる若狭人」という句を残した。幕末の鳥羽伏見戦争の際,小浜藩主酒井忠禄は幕閣の重役として将軍に従ったが敗れ,わずかな藩兵に護衛されてこの峠を逃げ帰った。かつて峠の下をトンネルで抜け,小浜から鶴ケ岡を経て山陰線の殿田駅に接続する京若鉄道が計画されたが,日中戦争の勃発で着工は無期延期となった。第2次大戦後,京都府の深見峠のトンネル工事着工をきっかけとして昭和26年に車道が完成し,同30年頃一時京都~小浜間の国鉄定期バスが越えた。同49年には峠の東下を堀越トンネルが貫通し,冬季の通行も確保された。峠道は幾度か改修されたため,旧道をたどるのは困難であるが,峠道の京都府側途中から分岐して西方の福居谷へ越える熊壁越が旧道である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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