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湯尾峠
【ゆのおとうげ】


柚尾の峠とも書く。南条郡今庄町今庄と同町湯尾の間,東の三ケ所山と西の八ケ所山の鞍部にある峠。標高約200m。峠の名は峠下の湯尾によるか。以前は北陸街道が通り,交通・軍事上の要地であったが現在は廃道。「源平盛衰記」には「木曽義仲は陣を柚尾の峠にとり,城をば燧に構へたり」とある。また,「太平記」巻18は延元元年杣山城の瓜生氏が関を設け街道を塞いだと記す。「朝倉始末記」にも天正2年府中城主富田氏と戦う一向一揆2万余人が拠ったとみえる。義仲が改修した義仲道が今の峠の東約100mにあったという。柴田勝家が改修したのが今に残る道。「奥の細道」には「湯尾峠を越ゆれば燧ケ城,還山に初雁をききて,十四日の夕ぐれ敦賀の津に宿を求む」とあり,「月に名を包みかねてやいもの神」の句を残して松尾芭蕉も越えている。「帰雁記」は「湯尾峠に孫嫡子といえる守札を出す茶屋有。安倍の清明と云はかせ疱瘡の神に出合,此峠にて祈祷して,此末疱瘡のやく除とて,授置けるとぞ。此守を持所の人は疱瘡を遁るると世に隠れなく云伝ける」と記す。峠に茶屋は4軒あった。茶屋跡の西の小高い所に孫嫡子神社の碑がたっている。茶屋の女がやかましく客引をするので「ツバクラ峠」,加賀の前田侯が駕籠の中から掛声をかけたので「ヤットコ峠」という俗称もある。明治20年には海岸部に敦賀と武生(たけふ)を結ぶ敦賀街道が完成し,同25年に峠の下に道ができ,同29年には北陸線も開通してさびれた。近松門左衛門の「傾城反魂香」や井原西鶴の「男色大鑑」,十辺舎一九の「湯尾峠孫嫡子」などはこの峠を題材としている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7095626