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河内
【かわうち】


旧国名:甲斐

(中世~近世)戦国期~江戸期の広域地名。八代(やつしろ)郡の一部と巨摩(こま)郡の一部に広がる。川内とも書く。甲府盆地から南へ細長く突き出して富士川を挟む地で,呼称の由来は国内諸河川の集まることにちなむという(国志)。戦国期には下山城(身延町)を根拠とする武田氏支流の穴山氏が領有して河内・河内谷・河内領などと称し,江戸期には九筋二領の1つとして,甲斐国の広域地名となった。また,富士川の西の巨摩郡分を西河内領,富士川の東の八代郡分を東河内領と呼んだ。これは江戸期にも踏襲され,文化初年の西河内領の石高9,163石余,村数63,戸数5,086・人口2万2,718,うち男1万1,467・女1万1,251,東河内領の石高6,716石余,村数59,戸数3,247・人口1万4,962,うち男7,644・女7,318(国志)。苅生畑(焼畑)が多く,金掘り人足,紙漉き,屋根葺き,大工や山稼ぎ・川稼ぎなどの余業に多く依存した。甲府から駿府に至る河内路は鰍沢(かじかざわ)・切石・八日市場・下山・南部・万沢の諸宿を栄えさせ,慶長17年に開通した富士川水運は,西郡筋に属す鰍沢・青柳・黒沢の3河岸が年貢米をはじめ貨客輸送の大動脈をなし,国鉄中央線が開通するまで盛行した。現在の西八代郡下部(しもべ)町の一部と同郡六郷町全域,および南巨摩郡の鰍沢町の一部と同郡中富町・早川町・身延町・南部町・富沢町全域にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7096648