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郡内
【ぐんない】


中世~近代の汎称。都留(つる)郡全域の別称。県を二分する御坂(みさか)山地と大菩薩連嶺の東に位置する。鎌倉期から都留郡を領有した小山田氏は,中津森(都留市)に居館を置き,岩殿城(大月市)を要害城とした。永正7年以来は武田氏に臣従しながらもなお「当郡主(守)護」を自称(岩殿七社権現棟札)するほどの勢力を保ち,武田氏本領の国中(くになか)に対して「我ガ領地ヲサシテ郡内」といったのが呼称の起源だといわれ(国志),戦国末期の史料に散見する。このような沿革から郡内領とも呼ばれ,谷村(都留市)が中心となった江戸期においても,国中に慣行される大小切租法・甲州金・甲州枡の3法が適用されず,枡は京枡2升5合入りの郡内枡を用いた。方言や習俗は甲州風よりもむしろ関東風であり,国中へ行くことを甲州へ行くというなど同国意識が乏しかった。文化初年の郡内の石高2万911石余,村数111,戸数1万3,746・人口6万2,961,うち男3万2,105・女3万856(国志)。在来の絹織り仕事は,寛永10年以降郡内藩主秋元氏が先進地上州の技術を導入して改良したため郡内織として確立し,元禄年間には西鶴や近松の作品に「郡内島」が登場する。享保年間からは製品の種類も多様化し,生産量は年間5万疋に達し(万金産業袋),原料糸の国中からの移入や問屋に対する賃織も始まった。この伝統による郡内機業は現在も重要な地場産業であり,富士箱根伊豆国立公園の主要地としての観光業とともに地域経済の双璧をなしている。現在の富士吉田・都留・大月の3市と南都留・北都留両郡全域にわたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7096850