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日川
【ひかわ】


一般には「にっかわ」と呼ぶ。塩山市の大菩薩嶺付近に源流をもつ笛吹川の支流。流長18km。一級河川。上流部では花崗閃緑岩地帯の断層線に沿って南流し,嵯峨塩鉱泉から下流は,武田氏ゆかりの天目山栖雲寺に至り,深沢川に合流したあと西流する。竜門峡を経て東山梨郡勝沼町柏尾付近で甲府盆地に出て,日川扇状地を形成,田草川・御手洗(みたらし)川と合流,山梨市一町国中下手で笛吹川・重川に合流する。「国志」によれば,三日(みつか)川または日川とも呼び,山梨・八代両郡の境界で,栗原・大石和(おおいさわ)筋の境界であった。現在の行政界では,上流部嵯峨塩鉱泉の下流までが塩山市,柏尾の上流までが東山梨郡大和村,以後野呂橋付近までが勝沼町となり,その下流は山梨市と東八代(ひがしやつしろ)郡一宮町の境界となっている。当河川上流部は,大菩薩峠をはじめ嵯峨塩鉱泉・竜門峡などの観光拠点が多い。また田野の景徳院の付近は,当河川名の起源ともいわれる。伝説,史跡にも恵まれ,天正10年3月武田勝頼滅亡のとき,家臣土屋惣蔵が断崖のツルクサにつかまり片手で多数の敵を斬りすて主君の最期に時を与えた。「鮮血流れて止まず河水赤きこと三日」に及んだことから三日血川と呼ぶようになったという。また竜門の滝の近くに片手斬りの遺跡があり,景徳院には勝頼と北条夫人の墓がある。また,下流の扇状地等の部分は,現在本県東部の果実生産地帯として知られているが,古来当河川の流路は変遷があったと考えられている。すなわち旧相興村の上矢作(かみやはぎ)と旧一宮村の下矢作とは,もと上矢作の唐土社を氏神とし同じ村落であったが河瀬が変わって,2km以上を隔てるようになった。また右岸山梨市の一町田中と左岸一宮町の田中とは日川が栗原を流れ,重川と合流していた時代には同一村落であったという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7098144