100辞書・辞典一括検索

JLogos

17

木曽谷
【きそだに】


木曽川上流域の谷名。ほぼ現在の木曽郡にあたる。西は飛騨山脈南端の乗鞍火山から南にやや隔たって,準平原の名残をとどめる阿寺山地の上に御嶽火山がそびえ,東は駒ケ岳を主峰とする木曽山脈が連なる。木曽山脈と阿寺山地の境界をなす木曽川は,木曽谷断層群によってできた地形に影響されて流路をとる。鮮新世末から更新世はじめ頃は阿寺山地と美濃・飛騨山地とは一続きの準平原であった。ここに変成岩古生層起源の土岐砂礫層が堆積した。次いで木曽山脈の隆起が始まり,木曽川の流路がほぼ現状のものになり巨礫を交えた花崗岩の礫が供給され,木曽谷層が堆積した。およそ3万7,000年前である。御嶽火山は約50万年前から活動を始め,3万7,000~3万5,000年前には木曽谷層の堆積頂面の松源地面に噴出物を,また約2万7,000年前には高部面に大規模な泥流を残した。この時に麓の渓谷を埋め,開田村西野や把之沢や末川にみられる広い平坦地ができた。一方,上松より下流の木曽川左岸では駒ケ岳を含め地質は領家変成岩・石英斑岩や深部まで風化の進んだ花崗岩よりなり,断層も各所に見られ,崩壊土砂の生産が盛んで,建設省は滑川・伊奈川・与川・蘭川の4支川を昭和53年度から直轄砂防事業区域にして工事を続けてきた。平成元年完成の滑川第一砂防ダムは,全国一の規模で10年はもつ,といわれたが,同年7月の豪雨で一夜にして埋まり,自然の威力を見せつけた。崩壊土砂の堆積地(デブリ)は現河床面を水準としてなされる新期のものと旧河床面の水準でなされた古い時期のものがある。更新世から完新世の頃の高部面,さらに古い松源地面が河床であった頃に出来たデブリは,現在よりも河床が高く全体の地形もなだらかで,ゆえにそれだけ緩やかで広い崖錐ができた。これらは大桑村長野・野尻,南木曽町十二兼・三留野,山口村田立などに発達している。楢川村奈良井のマキヤ沢では堅地漆器に用いる粘土(さびつち)を採っているが,ここは新期のデブリである。木曽谷は上松町を境にして気候的にも南北二つに分かれる。北部の開田村(観測地点の標高1,130m・年雨量2,074mm・年気温7.1℃)の月気温は1月で-5.6℃,8月で19.8℃だが,南木曽町(560m・2,649mm・11.0℃)は1月-1.4℃,8月23℃であり,較差が大きく,南木曽町では信州には珍しい茶・孟宗竹・椿・枇杷を容易に目にすることができる。1月から3月の降水量の累計値は開田308.7mmに対して南木曽140mmであり,寒冷な開田の降水は事実上降雪で,積雪は多い。木曽谷は東と北を高い山地で囲まれるため太平洋岸から入る気流が多雨をもたらす。ことに北上する台風の東側に入ると蛇抜けのような災害になりやすい。昭和59年9月に発生した直下型の長野県西部地震はM.6.8の規模で,御嶽火山の崩壊からおきた土石流によって大きな被害を出した。昭和49年の第1次オイルショック後,水力発電が見直され,新設の発電所が落差の取り易い大桑村に集中した。木曽川は一水系で100万kwを超す日本最大の発電河川だが,そのうち県内で60.9万kwになる。また31発電所中長野県分が25箇所,うち大桑村に8箇所で,一自治体内では全国最多となっている。これが大桑村の大きな自主財源の背景となっているが,木曽川の水が高度に利用された結果,数々の景勝地から清流が姿を消した。発電や水資源開発に関連しては,三浦・王滝川・牧尾・常盤・木曽・伊奈川・読書・山口の各ダムが木曽川水系に作られている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7100327