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千曲川
【ちくまがわ】


県東部を流れる1級河川。流長213.531km。県南東端の甲武信ケ岳から流出し,下水内(しもみのち)郡栄村から新潟県内に入ると信濃川と呼ばれ,日本海に注ぐ。水源地には千曲川・信濃川源流の地の碑がたつが,あたり一面より滲出し,明確な水源地はない。上流部は秩父山地と八ケ岳火山の境を流れ,佐久盆地に出て大河の様相を呈し始める。盆地の南端南佐久郡臼田町までは随所で峡谷をなす。佐久盆地では南半部に扇状地を形成するが,北半部は浅間火山の泥流部てせき止められ,上田盆地への境界付近は再び峡谷をなす。上田盆地からは河床が平坦になり,長野盆地では河床に土砂を堆積し天井川を形成する。盆地北端の中野市立ケ花から飯山盆地までの間は地盤の隆起による嵌入蛇行をなす。同盆地では長野盆地と同様天井川をなす。このため長野・飯山両盆地は,戦前までは水害常襲氾濫地であった。源流地から長野・新潟県境までに214の1級河川を合流する(犀川水系を除く)。これらのうち主な河川に,佐久盆地の湯川,上田盆地の依田川・浦野川・鹿曲川,長野盆地の犀川・松川・中津川などがある。千曲川は長野県域のうち,東信・北信全域を流域とし,県下第一の河川をなす。文献上の初見は万葉集の東歌で,「信濃なる筑摩の川の細石も」とあり,以後「吾妻鏡」「平家物語」などにたびたび出てくる。しかし江戸初期までは,川名の表記は一定せず,慶長16年初めて千曲川の文字が使われ,以後これが定着した。山地が多く平地が少ない信州にとって,千曲川が形成した佐久・上田・長野・飯山の各盆地は,農業上きわめて大きな役割を果たした。現在でも流域の主な用水は千曲川から直接取水している。一方,明治30年代からは水力発電にも利用されてきた。天井川をなす長野・飯山両盆地の洪水を防ぐことを目的に,最上流部の八ケ岳山麓南佐久郡南牧(みなみまき)村地籍に建設省がダム造成を計画している。千曲川の水運は大河のわりには部分的区間に限られていた。上田市から上流は水深が浅く,舟運に利用されたことはない。また飯山市西大滝から下流新潟県域との通船も,西大滝の遷急点のため舟運はなかった。わずかに飯山市から上流部,篠ノ井の塩崎までが利用され,新潟県直江津方面からの塩や海産物が陸路飯山城下に運ばれ,これを舟運で松代藩一帯に運んだ。小諸城跡は懐古園と呼ばれ,明治中期小諸義塾の教師をした島崎藤村の千曲川旅情のうたの詩碑があり,彼の「千曲川のスケッチ」で佐久盆地の千曲川は一躍脚光を浴びた。また川中島古戦場は,戦国末期千曲川と支流犀川の合流点をなし(現在はこれより下流),信濃の統治をめぐって甲斐の武田と越後の上杉の決戦場になった所である。現在は同所に歴史博物館があり,近くの海津城とともに訪れる人が多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7101873