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安倍川
【あべかわ】


山梨県境の安倍峠の南斜面に源を発し,静岡市域を南流して静岡平野の南部で駿河(するが)湾に流入する1級河川。流長50.8km・流域面積567km(^2)。主な支流には上流側から安倍大谷川・関の沢川・安倍中河内川・安倍大沢川・油山川・足久保川・内牧川・藁科(わらしな)川・丸子(まりこ)川などがあるが,本流が流域の東に偏って流れているため,安倍中河内川・足久保川・藁科川など長大な支流はいずれも北西側から流入し,左岸側からは短小な急流のみが流入する。南北方向をとる本流の流路はきわめて直線的であり,その東側には真富士(まふじ)山,竜爪(りゆうそう)山(薬師岳・文珠(もんじゆ)岳),賤機(しずはた)山へと続く急峻な山地が直線状に並行する。この山地の脊梁部は新第三系の粗面岩・流紋岩類からなっていて,その東側にフォッサマグナの西縁を画する糸魚川静岡構造線が南北に並行して延びている。一方,本流の西側には砂岩・頁岩を主体とする古第三系の瀬戸川層群からなる山地が広がっており,この山地の西縁すなわち大井川水系との分水界をなす笹山から南ないし南南西に延びる稜線沿いには,笹山構造線が走っている。このため安倍川流域一帯の山地には,これら両構造線の破砕作用に起因した地すべり・崩壊地形が数多く分布している。その代表的な例が日本三大崩れの1つとされる安倍大谷川源流の大谷崩(おおやくずれ)である。この巨大崩壊の発生は比較的新しく,16~18世紀と推定されていて,崩壊した土砂は土石流となって数回にわたって流動し,安倍大谷川および安倍川上流部の谷を埋積して7km下流の孫佐島にまで達した。しかしその後に始まる浸食作用も急速で,この土石流堆積面は現在ではすでに深い谷に刻まれて堆積段丘化している。安倍川は中流部に至ってもなお深いV字谷をなしていて,谷底平地をほとんど欠くし,また河岸段丘の発達も一般に貧弱で,平野~牛妻間にごく断片的に存在するにすぎない。牛妻より下流に至ってようやく谷底平地が出現し始めるが,そこでの新田開発は霞堤や山付堤を建設することによって進められてきた。下流に開ける静岡平野は,その主体は賤機山の南端を扇頂とする扇状地性の平野であって,静岡市の中心市街地はこの扇状地の上にのっている。安西橋下流で最大の支流,藁科川を流入させた安倍川は,両岸を堤防に固定されて直線状に南南東に流れ,中島の南で駿河湾に注いでいるが,この川は東海型もしくは東海道式と呼ばれる急流性の荒れ川であるために,河口付近ですら平素は細い水流が広い礫河原の中を網状流しているにすぎない。安倍川の文献上の初見は承和2年6月29日の太政官符で,「応造浮橋布施屋并置渡船事」の「加増渡船十六艘」のところに「駿河国阿倍河三艘 元一艘,加二艘」とあり(類聚三代格),それまで安倍川には渡船が1艘しかなかったのが,このときから2艘ふえて3艘になったことがわかる。下って,南北朝期には安倍川西岸の手越河原(てごしがわら)において何度も合戦が繰り返されている。下流の駿府付近では乱流が激しく浅間神社のある賤機山の南麓を曲がって北に流れる北川,現在の新静岡センター付近から東に流れる横雄川などの支流があった。本流の1つは現在の中町(なかちよう)のあたりを流れていたが,戦国期,「言継卿記」弘治2年9月24日の条に「自是過岡辺里二里まりこの里,又一里半過之安倍川渡之,着府中」とあるように,山科言継は安倍川を渡って府中すなわち駿府に着いているので,当時はすでに現流路に近いところを流れていたものと推測される。江戸期にはこの川は,大井川と同じく東海道は徒渉であった。なお最上流の梅ケ島は,古くは金山で,現在は温泉でしられるし,またこの川の上・中流部では林業と茶・ワサビの栽培が行われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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