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木曽川
【きそがわ】


長野県の鳥居峠の北方,木曽山地の鉢森山に源を発し,ほぼ南西流して伊勢湾に注ぐ。1級河川。流長227km・流域面積9,100km(^2)。王滝川・付知川・飛騨川など大支流が右岸から流入するため,木曽川本流は流域の南東界に沿って流れる。上・中流では木曽谷・恵那峡・日本ラインなどの峡谷をつくり,下流では扇状地・三角州からなる濃尾平野を形成する。かつては木曽川が美濃山地の峡谷から低地に出て勾配が緩やかになった所で犬山扇状地を形成しながら分派乱流し,洪水のたびに流路は変遷し,下流はたび重なる水害に悩まされた。川名は,年代・地域によって,鵜沼川・広野川・尾張川・美濃川・墨俣川などと呼ばれた。木曽川の名は,天文13年9月25日の長井秀元書状写が初見で,美濃井口城を攻めた織田信長軍が大敗し,「木曽川へ二三千溺候」とある(士林証文/岐阜県史史料編古代中世4)。その後,羽柴秀吉は再三当川を渡って犬山城などを落とし,天正12年5月10日には竹鼻城(岐阜県羽島市)を包囲し,四方に堤を築き当川を切って水責めをし,1か月がかりで開城させた。同14年の大洪水により,河道がほぼ現在のようになったといわれる。木曽材の運送は,鎌倉期から伊勢造営材などを川下げしていたが,秀吉の時代になって本格化した。舟運は,長良川・揖斐川とも関連し,木曽谷や川筋地域の生産物資をはじめ,越前方面との物資の交流も盛んに行われ,河岸も繁栄した。慶長13年徳川義直が,木曽川本流左岸に沿って犬山から海部(あま)郡弥富に至る48kmのお囲い堤と呼ばれる堤防を築いた。宝暦3年,下流で合流する木曽・長良・揖斐(いび)3川の分流を骨子とした治水工事を薩摩藩に実施させた。近代的治水工事は,明治20年オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケの計画によって実施され,この工事の成功は以後の全国の河川改修を促進する契機となった。明治18年,江南市草井町~一宮市北方町の間の十数kmにわたって,堤防の両側にサクラが植樹された。昭和2年国名勝及び天然記念物となり,同30年代までは名所として知られていた。木曽川は,年間総流出量97億2,653万m(^3)(昭和26~59年の犬山地点における平均)という豊かな水量を持ち,下流部では古くから濃尾平野を潤す農業用水として利用されてきた。近代以後,上流部は電源地域として開発された。昭和36年,支流の王滝川に牧尾ダムを建設するとともに,本流の兼山地点から知多半島の先端まで,総延長112kmに及ぶ愛知用水が完成。同57年,愛知・岐阜・三重3県を対象に農業用水・水道用水・工業用水を供給するとともに,発電と洪水調節を目的とした木曽川総合用水事業が完成。近年,沿岸の諸都市からの生活排水・産業排水の流入が多くなったが,豊富な水量と旺盛な自浄作用は環境基準を満たしている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7117707