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赤目四十八滝
【あかめしじゅうはちたき】


名張市の南西,奈良県境を流れる宇陀(うだ)川の支流滝川上流にある多くの滝の総称。実際の滝数は48より多い。地域一帯は室生火山群に属し,溶結凝灰岩の柱状・板状節理が渓水に浸食され,奇岩,奇形の峡谷をなす。赤目滝は古くから知られるが,文献での初見は寛永19年8月「御礼覚 一,護摩之御礼」の伊賀主要社寺中に「赤目滝千寿院」の名を認める(宗国史)。赤目の由来は役行者が,この地を修験場に開いた時,赤い目の牛に乗った不動明王が現れたことによるという伝説による。「赤目の歴史と民俗」には仏子正縁が最初の発見者で,室町期までは黄竜滝とか黄生(おう)滝と呼ばれていたとある。「三国地誌」には「阿弥瀑布一名赤目」とあり,一般に阿弥陀滝とか「あめが滝」とあり,江戸期に赤目滝となったことがわかる。四十八滝は数の多いことの意味もあるが,阿弥陀四十八願に起因する。滝を世に広く紹介したのは江戸後期,鎌田梁洲の「観瀑図誌」で,滝は行者滝から竜が壺までを前澗,岩窟滝から縋藤(すがりふじ)までを後澗に分けている。数多い滝の中でも不動滝・千手滝,布曳滝・荷担(にない)滝・琵琶滝を五瀑といい,その他の滝の名称も形状・伝説・仏教にちなんだ呼称が多い。明治31年赤目保勝会が地元玉置熊吉を中心に設立され,黄竜橋から滝入口まで5,500円の巨費を投入して,2kmにわたる道路を新設した(名張市史)。明治32年の関西線全通,大正11年伊賀鉄道の名張入り,昭和5年の参宮急行電鉄(現近鉄大阪・山田線)の開通により急速に観光地化した。昭和2年日本新百景の1つに選定され,同25年10月毎日新聞社主催日本観光地百選瀑布の部で1位となった。同26年観光客の増加に伴い観光協会が中心に県・近鉄・三重交通の援助で探勝路の大改修を行った。同45年国道165号の開通により,マイカーの観光客が急増,翌46年室生赤目青山国定公園に指定され,県道名張赤目線の大改修工事が実施された(赤目滝今昔)。滝周辺は数多い植生と国特別天然記念物のオオサンショウウオの生息地であり,また延寿院境内の石灯籠は鎌倉期作の国重文。観光客の動向は昭和49年33万6,170人をピークに,同55年では27万4,971人,月別では11月の紅葉狩りをトップに,8月の納涼大会・夜の滝,5月の青葉まつりの順に多く,季節性に富む。観光客は県内はもちろん,休日には大阪・愛知をはじめ隣接府県からも多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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