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長良川
【ながらがわ】


木曽三川の1つ。岐阜県美濃地方中央部を南流し,当県北東部で伊勢湾に流入する1級河川。流長158km・流域面積1,985km(^2)。両白山地にある大日ケ岳(1,709m)の東斜面(岐阜県高鷲村)に源を発し,岐阜県白鳥町・大和村を南流し,八幡町で吉田川,美濃市安宅毛(あたげ)で最大支流の板取川(47km)を合流する。この付近から南西方向に流れを変え,関市南西端で武儀(むぎ)川・津保川を合流する。岐阜市北部を流れ,同市鏡島付近からは南流する。羽島市桑原町小藪から愛知県海部(あま)郡立田村福原までは木曽川と,岐阜県海津郡海津町油島からは揖斐(いび)川と並行して流れる。当県域は桑名郡長島町の地先で揖斐川と合流し,伊勢湾に流入。古くは藍見川(古事記)・因幡川(今昔物語集)ともいった。また,上流部は郡上川,中流部は河渡川,下流部は墨俣川とも呼ばれた(新撰美濃志)。源流域の蛭ケ野(ひるがの)高原一帯はキャンプ場・ゴルフ場・スキー場・別荘地として開発され,観光地化が進む一方,近年は自然破壊が問題化している。上流域は奥長良川県立自然公園に指定(昭和44年4月)され,多くの滝や渓谷がある。アユ・アマゴが放流されている。中流域の関市小瀬・岐阜市長良では1,000年の歴史をもつ鵜飼いが行われている。天文年間以前の中流部は岐阜市中屋付近から西流し,山県郡高富町を経て,岐阜市岩利付近から南流し,安八郡墨俣町付近で木曽川と合流していた。しかし,天文3年には関市千疋付近で氾濫し,岐阜市芥見で津保川に流れ込み,ほぼ現在の流路になった(岐阜県治水史)。中世以降,長良川は木曽川・揖斐川とともに水運によく利用された。上有知(こうずち)(美濃市)・長良・鏡島(岐阜市)・墨俣(墨俣町)の各河港は繁栄し,河口港(桑名市)と結ばれていた。下流部は木曽三川が合流し,古来洪水の常襲地帯である。江戸期だけでも100回以上の水害が記録されている(岐阜県治水史)。木曽川左岸の御囲堤の築堤により,伊勢・美濃側の地域は洪水が多くなり,住民は集落・耕地を堤防で囲い込み,いわゆる輪中堤を築堤して洪水被害の減少に努めた。しかし,輪中堤の築堤および低地の新田開発により,河床に土砂が堆積されやすくなり,河床が上昇して洪水は逆に増大した。江戸期には各種の治水工事がなされたが,その最大のものは宝暦4~5年にかけて行われた薩摩藩の御手伝普譜による宝暦治水である。これにより,油島千本松原食違い堤・大榑(おおぐれ)川洗堰が築堤された。しかし,その後も洪水は減少せず,ようやく明治期になって根本的な治水工事がなされた。明治20~28年にかけて羽島市小藪で合流していた長良川と木曽川を,明治29~33年にかけて長良川と揖斐川を背割堤により分流した。工事の設計はオランダ人技師ヨハネス・デレーケら。この分流工事により,長良川関係では桑名郡長島町杉江・大島の全域と同町松ノ木・上坂手・下坂手・千倉などの一部,合わせて約200haの土地が長良川河川敷となり,それらの集落は新堤沿いに移転した(長島町史)。以後,洪水被害もほとんどなく,輪中堤も,次第にその姿を消していったが,昭和51年9月12日の台風17号による長良川堤防の決壊で改めて輪中堤の効用が認識された。長良川は本支流を含めてダムがなく,大河川としてはわが国でも数少ない自然河川となっている。桑名郡多度町南之郷から揖斐川をまたいで水道管橋が架けられ,長良川から取水している。この水道は北伊勢工業用水として四日市市の伊坂ダムに貯水され,四日市市の工業地域に送水されている。また,国道1号が通る伊勢大橋の下流1km付近(河口から約5km)に河口堰が計画されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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