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朽木谷
【くつきだに】


高島郡西南部にあり,安曇(あど)川の上流域を占める谷。狭義には安曇川本流に沿う谷あいの一部,花折断層の断層谷で,朽木村大字栃生(とちう)から荒川(あらかわ)に至る間の土地の人々が川筋と呼ぶ地域。広義には,安曇川の支流に沿う奥地の谷あいのすべて,すなわち針畑(はりはた)谷・雲洞谷(うとうだに)・麻生谷をも合わせて,ほぼ行政村朽木村の全体をいう。中世には朽木郷・朽木荘と同義に使用された。面積は約165.4km(^2)。稀には,江戸期に朽木氏領内であった今津町の椋川谷(むくがわだに)をも含む。「輿地志略」には「凡朽木谷と云は安曇川の上流にて長さ三里許の間の惣名なり。此谷南北は長く。東西は狭く」とある。谷域の大部分は複雑な褶曲構造をもつ秩父古生層からなり,周囲を丹波高原から比良(ひら)山地にかけての標高500~900m前後の山々が囲む。標高は谷域東部の大字市場(いちば)で173m,最西端の大字生杉(おいすぎ)で420m。裏日本型気候で冬季の降雪が多い。歴史的には大化の頃には開けていたらしく,古代の郷里制の施行に際しては,朽木谷一帯が桑原郷に編成されたが,次第に荘園化して,朽木荘となった(市町村沿革史)。永禄11年,浅井久政・長政父子が朽木元綱と同盟を結ぶために提した起請文の条項に「朽木谷従往古守護不入之由候,自今以後,弥不可有別儀」とあって,朽木谷が守護不入の地であることが確認されている(朽木文書)。この場合の谷は朽木荘を指している。朽木谷はかつて朽木の杣と呼ばれ,早くからその価値が森林資源に置かれていた。奈良期には,東大寺の建築用材の一部が,この谷からも安曇川を筏で流し,琵琶(びわ)湖・淀(よど)川・木津川から奈良坂を越えて奈良に運ばれたという伝承がある。また貝原益軒の「諸国めぐり」には「朽木の杣は朽木谷の奥にあり,名所也。今も材木薪を切る。朽木より京へは南行十二里あり,朽木の町にて挽物を作り漆にてぬる。椀盆などあり。漆多ければなり。京都へ出し諸国に売る。榧の実また当所の名産なり」とある。現在でも谷域の90%以上は山林であり,杉・檜を中心にした施業林や2次林が多い。谷名の由来について「高島郡誌」は「朽木は今はクツ木と称すれども古歌にはクチ木とあり。クツ・クチの意は朽にはあらずして古事記に木神久々能智神とある久々と同語なるべく,即ち,樹木繁茂の地なる意味なるべし。クヽがタ行に通いてクツ又はクチとなりしなり」と記す。朽木谷と外部とを結ぶ幹線道路は,南北方向の朽木街道(国道367号)と東西方向の主要地方道小浜朽木高島線である。昭和46年,朽木谷の一部は,安曇川上流の葛(かつら)川渓谷と合わせ「朽木・葛川県立自然公園」に指定された。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7132021