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阿弥陀ケ峰
【あみだがみね】


鳥部山(坊目誌)・豊国山(扶桑京華志)ともいう。京都市東山区,東山七条の東方に位置する山。標高196.4m。「坊目誌」に「天平五年僧行基開く所の無常所にして,上下万人の葬場なり,之を仏語にて三昧と云ふ」とあり,葬送の地であったと考えられる。また「百錬抄」の長徳元年9月16日条に「上人阿弥陀ケ峰ニ於テ身ヲ焼ク。上下雲集シ之ヲ見ル」と記されている。山麓一帯は古代,鳥部氏の居住地であり鳥辺野ともいった。地名の由来は,「京羽二重織留」に「又鳥部山にあみだが峰あり,古へ小松の内府平の重盛公此山下に四十八精舎を建立し毎夜四十八燈をともし,毎月十四日十五日大念仏を修し給ふ。これより此山を阿弥陀が峰と号す」とある。「坊目誌」は別称を鳥部山,「扶桑京華志」は豊国山とするが,「山州名跡志」は鳥部山と阿弥陀ケ峰は別地という。当山は,京中を一望できるため,戦略上の要地でもあり,「源平盛衰記」の寿永2年正月20日の「範頼義経上洛ノ条」に「阿弥陀ケ峯ノ東麓ヨリ攻メ入ルモアリ」,「扶桑京華志」に「保元平治ノ役元亨建武ノ乱屡為兵燹所炳」などと見える。さらに,嘉吉元年,徳政令を要求する土一揆が阿弥陀ケ峰など16か所に陣をはった(京都の歴史)ともいう。行基の開いた阿弥陀堂は日蓮宗徒により焼失せられ,現在頂上には豊臣秀吉を祀った豊国廟がある。豊国廟は,慶長3年秀吉を埋葬し,翌年廟がたてられ,徳川氏に取りこわされたのち,明治30年に再建。「前大納言公任卿集」に「今よりはあみだが峰の月影を千世の後まで頼む計ぞ」とうたわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7136218