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大沢池
【おおさわのいけ】


庭湖,内沢・内池(峩山勝覧)ともいう。京都市右京区嵯峨地区の北部,嵯峨大沢町にある池。大覚寺の東方,国鉄嵯峨駅の北方約1kmに位置し,約200m四方。かつて嵯峨天皇の嵯峨離宮(大覚寺)の園内の池であった。別称,庭湖は中国の洞庭湖に似せて作られたこと,また内沢・内池は離宮の宮垣の内にあったことにちなむ。周囲は築山・滝水・奇岩などを配した大庭園をなしていたが,嵯峨天皇および同后没後の9世紀中頃には早くも荒廃しはじめ(三代実録),石組などの多くは貴族の邸宅の園池に移されて行った。しかし現在も菊ケ島・庭湖石・名古曽(なこその)滝跡など,往時の面影を伝えるものを残しており,平安初期の庭園遺構として国名勝に指定されている。名古曽滝は当時の画師百済河成が石組みをしたといわれ,離宮の荒廃後閑院に移された。藤原公任の歌に「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞えけれ」(千載集)がある。現在,大沢池の北側一帯が名古曽滝跡として大沢池に付属する国名勝に指定されている。大沢池も数多く詠まれているが,荒廃後の状況から往時をしのぶ内容のものが大部分を占める。紀友則の「ひともとと思ひし菊を大沢の池の底にもなかめつるかな」(古今集)は,嵯峨天皇が菊を植え育てたという菊ケ島を詠んだものであり,西行法師の「庭の石に目立つる人もなからましかどあるさまに立てし置かねば」(山家集)は,大和絵の始祖として知られる絵師巨勢金岡(こせのかなおか)が立てたという庭湖石を詠んだものである。また,菊ケ島の西にある天神島は,淳和天皇皇后が離宮跡を喜捨して大覚寺としようとした時,その奏請文を菅原道真が書いたことから,のちに天神社が祀られ,島の名前となったといわれる。なお「雍州府志」は大沢池をカキツバタの名所であるとしている。




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「角川日本地名大辞典」
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