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東洞院川
【ひがしのとういんがわ】


東洞院渠とも書く。平安京の東洞院大路を北から南に流れていた小河川。「坊目誌」では,中世には別称を烏(からす)川・室町川。源を賀茂川として,「一条ヨリ大炊御門ニ至リ,西流シテ烏丸ニ至リ,南流シテ冷泉ニ至リ又西折シテ室町ニ至リ,又南流シテ四条ニ至リ西注シテ西洞院川ニ合ス」と記す。平安後期から鎌倉期には一条大路付近から,大炊御門大路(竹屋町通)で西折,烏丸小路を経て下流端は西洞院川に合流していた。室町期には今出川に水を取られて消滅した(平安京地誌)が,のちに都市廃水流下用の小水路として再生したらしく,大正期にも存在していたことが「坊目誌」に見えるが現在はない。烏丸川について「坊目誌」は,「拾芥抄」に子代(こしろ)小路の水とあるのが烏丸川のことで,子代とは烏丸中御門以北を指した。一条から南流し四条に至り,ここで西折し流れること2町にして西洞院川に合流していたと記してあり,「図考証」に弘安7年閏4月17日の洪水の記録がある。室町川については「山州名跡志」が「此ノ河今無シ,昔二条ノ南,室町ノ西ノ方ヨリ新町ノ東ノ方ニ至リ,方一町ノ所ニ殿舎アリ,此ノ所堀川院御誕生ノ所ナリ,此所ニ池有リ,清泉四面ニ溢流シ,室町ヲ通リ三条ニ至リ,人家其ノ東西ニアリ,町境尤モ広シ,橋ヲ作リ東西ニ渡ル,下流三条ニ出テ西洞院川ニ入シナリ,天正年中ニ此河尚アリ,信長公ニ対シテ明智逆罪ノ時,士卒暑気ニ堪エズ此ノ流レニ下テ水ヲ呑ミシトナリ,此事寛文五年ニ或古老ノ説也,又或ハ云,古法眼ガ筆スル所ノ洛中図ニモ此河アリト」と記す。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7144441