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生駒山地
【いこまさんち】


大阪府と奈良県の県境をなす山地。飯盛山(314.3m)・生駒山(642.3m)・高安山(488m)などの山を含み,南は大和川の横谷となる。南の金剛山地とともに金剛生駒国定公園をなす。主峰生駒山は,この山地の主体である花崗岩に迸入した閃緑岩の残丘である。大阪側の西麓斜面が奈良県側よりも急斜面であるため,古く地塁山脈といわれ,ついで傾動地塊と改められ,さらに最近では基盤褶曲という概念でその成因が説明されるようになったが,なお部分的には疑問を残す。生駒山周辺は500~600mの尾根が続き,北に低い。第三紀鮮新世の準平原化作用によって,閃緑岩系の残丘を残して平坦化されたとみられる。東西の水系は短いが,生駒山頂付近から西へ流下する水系はとくに落差が大きく,それを利用した水車群が各水系に立地していた。これに対して,東部を南流する竜田川は生駒山地の東限を形成して,相対的に長流である。分水界は,奈良県生駒市小明付近の谷中分水界。生駒山地西麓には,日下(くさか)貝塚遺跡(東大阪市日下町)があり,かつては山麓線が直ちに大阪湾に面したことを推定させる。また,この山麓線には東高野街道が通じ,南北交通に利用されたらしいが,東側の南北の通谷は利用された痕跡に乏しい。いっぽう東西交通にとって,生駒山地が大きく立ちはだかり,障害となっていた。古代の交通路は,大和川横谷以南の金剛山地の峠道や大和川横谷が利用されていたが,のち奈良盆地に政治の中心が移ると,東西交通のために生駒山地の峠道が拓かれるようになったと推定される。大阪から奈良の諸社寺や伊勢神宮へは暗(くらがり)峠(暗越え奈良街道)があり,さらにその南には「伊勢物語」の在原業平が河内通いに越えたとされる十三(じゆうさん)峠がある。近世になると,大阪方面から暗峠越えで生駒宝山寺(生駒聖天)へ,十三峠越えで信貴山朝護孫寺(信貴毘沙門天)へ多数の参詣者が通った。近世以後の生駒山地は,参詣のために越える山地から,山そのものが信仰とレクリエーションの機能を備えるように変貌する。この傾向に拍車をかけたのは,まず大正3年の大阪電気軌道(現近鉄奈良線)の生駒トンネル工事竣工および生駒駅開設,同7年日本初のケーブル(現近鉄生駒綱索線)設置,同11年信貴生駒電鉄(現近鉄生駒線)の国鉄王寺駅~信貴山下間の電車開通,昭和5年の信貴山ケーブル(現近鉄西信貴鋼索線)開通などである。これにより,旧来の参詣峠路は急速に衰退し,新しい門前町の形成をみることになった。昭和34年,山地北部を横断する阪奈有料道路が開通。また,昭和39年には,比較的平坦な尾根を縦断する信貴生駒スカイラインが開通し,ドライブも楽しめる。なお,生駒山東麓の生駒市などでは住宅化が著しく,大阪圏内での人口急増地帯となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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