100辞書・辞典一括検索

JLogos

10

石川東条
【いしかわとうじょう】


旧国名:河内

(中世)平安期から見える地名。河内国石川郡のうち。条里制により石川郡を東条・西条に分けたことに始まる。石川の東岸の小平野を示す広域地名。応永18年6月日の畠山満家観心寺重書紛失状(観心寺文書/大日古)中の寛治元年5月22日の河内国庁宣案に「庁宣 石川東西条錦部古市郡等司」と見える。なお,年月日不詳の宣旨案(綸旨抄/続々群17)に「河内国石河東条郡」と記されることもある。また前の紛失状中に載せられている永万元年11月29日の下文案には「下 石川東条御稲田供御人等」とあり,大炊寮領の御稲田が存在したものと思われる。ところで南北朝期には貞和5年7月日の田代了賢軍忠状(田代文書/富田林市史4)に「東条凶徒等御退治」とあるように,楠木一族の本拠地,あるいは南朝方の拠点として赤坂城を中心とした地域名として用いられる場合も多かった。現在の富田林市東部,河南(かなん)町・千早赤阪村を含む地域に比定される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7147481