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久米田池
【くめだいけ】


岸和田市池尻町・岡山町にまたがる池。周囲約4km・面積46.8ha・灌漑面積3.6km(^2)。僧行基が神亀2年工を起こし,天平10年秋に完成した泉州第一の大池。その傍らに営まれたのが行基四十九院の1つ隆池院久米田寺である。「行基年譜」が記す池15か所のうちに「久米多池」,溝7か所のうちに「久米多池溝長二千丈,広五尺」が見える。古代から久米田池の管理は久米田寺が行ったとみられ,鎌倉後期の正応2年と南北朝期の正平16年に堤の修繕が行われた(久米田寺文書)。戦国期動乱によって寺運が衰退したのち,灌漑地域12か村で池郷を結成したものと考えられ,元亀3年には,尾生と池郷の争論があり,松浦肥前守が調停している(かりそめのひとりごと)。近世に入って文禄3年検地に,久米田池堤長延1,300間,高2間半・敷15間・馬踏2間半と見え,延宝7年検地には,久米田池床500間×330間,広さ55町歩,御料・私料12か村立合と見える。「五畿内志」は「久米田池,久米田村周廻十六万五千余歩,下流灌漑田畝数千頃」と記す。また安永8年に久米田池決壊の記録が見える(同前)。天明4年,池郷から岸和田藩へ提出の「久米田池古法古格之覚」があり,その中に,当池は東西8町20間・南北6町20間,周囲1里2町,水面積61町8反,灌漑反別367町余で,池尻・田治米・大町・箕土路・下池田・小松里・荒木・加守・西大路・中井・吉井・春木の12か村立合の「久米田池郷」として古来「古法古格」と唱える「定」を伝えてきたとしており,池には一番樋掛り七か村,二番樋掛り四か村,三番樋田治米村持の3つの樋があった(鬼洞泉州志)。昭和12年には裏堤が決壊し,春木川へ流出した。昭和32年,池郷を改組し,土地改良法に基づく「久米田池土地改良区」が発足した。また,久米田寺西隣の台地一帯には久米田古墳群があり,池底からは多数の須恵器が出土し,古窯があったものと考えられている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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