100辞書・辞典一括検索

JLogos

20

長堀川
【ながほりがわ】


大阪市南区・西区を西流していた堀川。現在の南区松屋町,末吉橋の南方で東横堀川から分岐し,船場と島之内の境界をなして西流,四ツ橋付近で西横堀川を合わせ,西区新町の南側を通って新町4丁目南西端で木津川に合流していた。西横堀川との合流点から下流を特に西長堀川と呼ぶこともあった。当川の開削は,元和8年に,京都伏見から来た三栖清兵衛・池田屋治郎兵衛・伊丹屋平右衛門・岡田心斎らによって行われたとされるが,寛永2年の開削ともいわれる。昭和39年に西横堀川との交差点より東側が大阪市の手で埋め立てられ,日本道路公団が地下2階の長堀駐車場を建設した。次いで昭和45年には残りの部分も埋め立てられ,うち四ツ橋から白髪橋跡までの約850mは昭和48年,中央にグリーンベルトを持つ広い道路となった。江戸期には,西長堀川沿岸に土佐の問屋をはじめ材木商が軒を並べ,店の前に市売場所を持って「浜」と称し,長堀材木浜として活況を呈した。その名残は今日でも西区北堀江1~3丁目の長堀通りに面した付近に見られる。埋立て前には上流から,安綿(やすわた)橋・板屋橋・長堀橋・中橋・三休(さんきゆう)橋・心斎橋・新橋・佐野屋橋・炭屋橋・吉野屋橋・西長堀橋・宇和島橋・富田屋橋・問屋橋・白髪橋・鰹座(かつおざ)橋・玉造橋・洲崎橋などが架かっていた。長堀橋は公儀橋の1つで,堺筋が上を通る。現在は地下鉄堺筋線の駅名として残る。炭屋橋・吉野屋橋は四ツ橋の一部,富田屋橋は寛政暦を完成した間(はざま)重富が,橋の上から天体観測を行ったことで知られ,グリーンベルトの富田屋橋跡付近に記念碑がたつ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7152205