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西横堀川
【にしよこぼりがわ】


大阪市東区・南区と西区の境界をなし,南北に流れていた川。東区の北西端,土佐堀川の肥後橋の上手から分かれ,南流して江戸堀川・京町堀川・阿波堀川・立売堀川などを分かち,四ツ橋で長堀川と直交,さらに南流して堀江川を分かち,現在の浪速(なにわ)区湊町1丁目北東端で道頓堀川と合流していた。元和3年,初代永瀬七郎右衛門が開削したもので,古くは七郎右衛門堀ともいった。七郎右衛門は肥後に生まれ,天正年間に大坂に移って材木商となり,のちには北組惣年寄の1人として町政に参加した人物であった。起点の東区大川町付近は船着場で船宿などが多かった。筋違(すじかい)橋から南は,四ツ橋の南北10丁ほどの間に100数十軒の瀬戸物屋が軒を並べ,瀬戸物町といわれた。また現在の東区横堀5~6丁目,南船場4丁目などの河畔には材木屋が多く,市が開かれていた。昭和37年5月,阪神高速道路の建設に伴い,川を埋め立て,駐車場とする工事が行われ,昭和39年6月,延長25kmにわたる駐車場が完成した。上手から西国橋・船町橋・尼ケ崎橋・筋違橋・呉服橋・京町橋・新天満橋・弥生橋・敷津橋・信濃橋・新渡辺橋・助右衛門橋・新町橋・上繋橋・下繋橋・御池橋・清水橋・木綿橋・金屋橋などが架かっていた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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