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六甲山地
【ろっこうさんち】


県の南東部,神戸市市街地の背後に横たわる山地。最高峰931.3m。明石海峡北岸の塩屋・須磨間に起こり,弧を描いて東北に延び,宝塚に至って武庫川に低下する。神戸・芦屋・西宮・宝塚4市にまたがる。北は太多田(おたた)川・山田川(志染(しじみ)川上流部旧称)の構造谷によって帝釈山地に対し,南は断層によって大阪湾に臨む。北東部に幅広く芦屋~有馬間約8km。南西に進むにつれ次第に幅を減じ,塩屋~須磨間約1kmとなり明石海峡に没する。北と南は著名な断層があり,南東に高く北西に緩やかな傾動山地。南東斜面は諏訪山断層などの断層により急崖をなし,東部は五助橋・芦屋・甲陽の各断層を境として階段状に高度を減じ平地に接する。南麓には局所的な小台地,多くの大小の扇状地をつくり,一部扇状地は250m前後の高位段丘をつくる。山上は隆起準平原面を残し,820~900m以下7段の小起伏面を数える。北西斜面は神戸層群(第三系)や大阪層群からなる100~270mの東播丘陵に移行する。山体の地質は花崗岩を主とする。六甲花崗岩は御影石の名に代表され,六甲山体の大部分を占める。どの谷の石塊・岩壁もほとんど御影石で,淡紅色のカリ長石を特徴とし,酸性岩の山肌は白く草地灌木に覆われる。布引花崗閃緑岩は六甲山地の南縁に分布,領家統に属する。緑黒色の角閃石を含み黒っぽい。土橋石英閃緑岩の分布地域は狭く,角閃石の針状結晶を特色とする。いずれも中生代末白亜紀の火山活動によって成立した。山体は山陽新幹線をはじめ大小十幾つのトンネル工事により縦横に掘削され,深部に至るまで破砕帯や衝上断層の露頭も地下で発見されている珍しい山地で,中には幅1kmにわたる難工事の破砕帯も報告されている。気候は山頂部は麓より平均5.5℃低く,最大7.1℃(2月),最小4.4℃(7月)の気温差を示し,夜はぐんと冷える。年間雨量は山頂付近で最も多く1,900mm程度,夏は山頂付近に,冬は北斜面に多い。一雨150mm以上の大雨は県下167回(明治40年~昭和36年の56年間)のうち,六甲山周辺は99回に達する。裏六甲は台風時,表六甲は梅雨末期が多い。昭和13・36・42・49年の豪雨はいずれも梅雨末期に災害を誘発している。植生は大部分が代償植生で自然林は数も少なく面積も小さい。自然林は頂上付近の谷筋にブナ・イヌブナを主体とする冷温帯落葉広葉樹林,寺社の境内にカシの常緑樹が多い。両者の限界を示す指標はシイ林の上限と思われ,表六甲450m,裏六甲350mと推定される。人為による代償植生はアカマツ林が主で,緑豊かな六甲山地の70~80%を占める。明治初期は草もない禿山だったが,精力的な植林により緑を回復した。裏六甲にはコナラ林が目立つ。砂防用に植林されたニセアカシヤ・ヤシャブシも多い。ススキ・ササも群落をつくり,スギ・ヒノキ・クスノキも植林されている。県内で都市市街地に接する山地は珍しく,開発の手が行き届いている。外人の登山以前は草刈場以外に用途もなく,信仰の対象として天上寺・大竜寺・高取神社・神呪(かんのう)寺などがあった。北摂と灘との山越道があるにすぎなかった。明治初年山上の自然・人工の池の氷を氷室に貯え,夏アイスロードを経て神戸に売る利用が生まれた。明治28年英人グルームが三国池のほとりに山荘101番を建て,彼の友人たちの山荘も増加し,避暑・休養・登山などに利用の道が開け,ゴルフ場も開かれた。明治43年山荘は44戸に及ぶ。登山路は五毛―杣谷道(カスケードヴァレー)―三国池を主とし,新在家―土橋―アイスロード―前ケ辻の旧山越道も利用された。日本人は最初は別荘番人,料理人,使用人が主であったが,山荘を構える者も現れた。大正3年には夏季人口363人中219人(60%)に及んだ。第1次大戦により国内の好景気,外人の帰国により日本人の山上進出が進んだ。山上の開発には電鉄会社の参入が大きい力を持つ。第2次大戦後には無線通信の中継所の施設も加わった。木造瓦葺の建物は3~4階建鉄筋コンクリートに姿を変えた。昭和34年618戸となり,その80%は休養地の性格を示している。その後冬期の利用施設も充実し,山上一帯の国立公園編入により,夏冬を通じて利用される六甲山地に変貌した。地形・地質その他を総合して,六甲山地主部(最高峰を含み,藍那(あいな)・小部(おおぶ)と御影北方を結ぶ線以北),東六甲地域(五助橋断層より東,階段状に低下する地域),再度山地域(再度山を中心とする500m以下の山地の多い地域),高取山地域(高取山以西,明石海峡に至る地域)の4地区に区分される。江戸期には武庫山の方が多く使われた。武庫山以前は漠然と有馬山(有間山)・譲葉(ゆずるは)岳・御影山などとも呼ばれた。「ろっこう」と呼ぶのは谷口山詩集(元政上人,寛文8年没)を初出とするのが通説で,落合重信は早林集「六甲山」を挙げ,室町初期と推定。「ろっこうさん」が「むこやま」をしのぐに至ったのは新しい。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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