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明日香
【あすか】


旧国名:大和

阿須箇・阿須可・安須可・阿須迦などとも書く。大和川支流飛鳥川上流域に位置する。広義には耳成山・畝傍山・天ノ香久山の大和三山に囲まれた地域を含める。語源については,賀茂真淵・伴信友らの鳥名(いすか)に由来し,この鳥が多く群生したことによるという説,ア(接頭語)スカ(住処)で集落を意味するという説,アス(崩地)カ(処)説,朝鮮系渡来者の安住地(安宿)説,ア(接頭語)スカ(洲処)説などがある。河内にも飛鳥があり(和名抄河内国安宿郡・延喜式神名上河内国安宿郡飛鳥戸神社),宮都が大阪平野に集中した5世紀には,河内の飛鳥を「近つ飛鳥」,大和の飛鳥を「遠つ飛鳥」と称したという説もある(古事記履中段)。「あすか」の枕詞に「飛ぶ鳥」の句が用いられたため「飛鳥」と表記する。飛鳥には川原・豊浦など川にちなむ地名があり,「飛鳥真神原」は「飛鳥苫田」(崇峻紀元年是歳条)とも称され苫の生える低湿地で,「万葉集」には「飛鳥川七瀬の淀」(1366),「赤駒のはらばう田井」(4260),「水鳥の多集(すだ)く水沼」(4261)と歌われている。また雄略天皇の時代,新来の陶部・鞍部・錦部・訳語などを上桃原・下桃原・真神原の3か所に居住させ(雄略紀7年是歳条),漢織・呉織の衣縫を飛鳥に置き飛鳥衣縫部とした(雄略紀14年3月条)。この飛鳥衣縫造の祖樹葉(このは)の家を壊して法興寺(飛鳥寺)を作ったともあり(崇峻紀元年是歳条),当地は渡来人技術者の居住地であった。宝亀3年における坂上苅田麻呂の奏言によれば,高市郡には半島からの渡来人が多く居住し,他姓の者は10分の1,2であったとされる(続紀宝亀3年4月庚午条)。はやく5世紀には允恭天皇の遠飛鳥宮,顕宗天皇の近飛鳥宮が置かれたと伝承され,その後推古天皇の飛鳥豊浦宮から平城遷都まで,多くの宮が飛鳥周辺に造営された。一方飛鳥寺など多くの寺院も建立された。
飛鳥(古代)】 大和期から見える地名。
【飛鳥(古代~中世)】 平安期から見える地名。
飛鳥村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
飛鳥村(近代)】 明治22年~昭和31年の高市郡の自治体名。
明日香村(近代)】 昭和31年~現在の高市郡の自治体名。
飛鳥(近代)】 明治22年~現在の大字名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7165192