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甘樫丘
【あまかしのおか】


高市郡明日香村豊浦の東北方,標高148mの豊浦山一帯をさす。大和期から見える地名で,味檮・甘檮・味白檮・味橿・甘橿などとも書く。アマカシはアマガセ・マガセ(曲瀬)の転訛で,飛鳥川の瀬名に起因する丘名(旧跡幽考・西国名所図会)。允恭天皇は,天下の氏姓が忤(たが)い過(あやま)てるを愁い,「味白檮(あまかし)の言八十禍津日(ことやそまがつひ)」の前に玖訶瓫(くかべ)を据えて,氏姓を定めたとあり(古事記允恭段),「味橿丘の辞禍戸」に探湯瓫(くかへ)を据えて盟神探湯(くかたち)を行ったともある(允恭紀4年9月戊申条)。甘樫丘には辞禍戸(言八十禍津日)の地名が見えるが,マガは一種の霊力を表し,卜筮と密接な関係を有し,サキは川上に突出する意とされる(日本地名伝承論)。川辺が古代の誓盟的神事,特に禊祓の場とされたことはほかにも見える(応神紀9年4月条・敏達紀10年2月条)。「釈日本紀」巻12所引の「弘仁私記」序によれば,盟神探湯に使用された釜が高市郡内に残っていたという。皇極朝に,蘇我蝦夷・入鹿の父子は,家を「甘檮岡」に並べ建て,蝦夷の家を上の宮門(みかど),入鹿の家を谷(はざま)の宮門と称し,家の外に城柵を,門の傍らに兵庫を作ったとある(皇極紀3年11月条)。また,斉明朝には,「甘檮丘の東の川上(かはら)」に須弥山を造り,陸奥と越の蝦夷を饗宴している(斉明紀5年3月甲午条)。東方の川が飛鳥川であるとすれば,甘樫丘は現在の明日香村豊浦の東北から西南に連なる丘陵を示すと考えられる。この丘陵は大野丘・逝廻丘・物見丘など種々の称呼があり,飛鳥神名火の岡とする説もある(明日香村史上)。「延喜式」神名上の高市郡54座のうちに「甘樫坐神社四座」(現明日香村豊浦小字寺内に比定)が見え,同書四時祭上には山口神の1つとある。貞観元年,従五位下から従五位上に神階が昇叙されている(三代実録貞観元年正月27日条)。




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「角川日本地名大辞典」
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