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大野丘
【おおののおか】


大和期に見える丘名。敏達紀14年2月壬寅条に「蘇我大臣馬子宿禰,塔を大野丘の北に起てて,大会の設斎す。即ち達等が前に獲たる舎利を以て,塔の柱頭に蔵む」とある。こののち,疫病が諸国に流行したので大連物部守屋らはこれを蘇我臣が仏法を興したためであるとして,その塔を切り倒し,火をつけて焼いたとある(敏達紀14年3月丙戌条)。また,「古事記」推古段に「御陵は大野の岡の上に在りしを,後に科長の大き陵に遷しき」と見える。推古天皇は薄葬を命じた遺詔によってわが子竹田皇子の墓にひとまず合葬されたともあるので(推古紀36年9月戊子・壬辰条),当地には竹田皇子の墓も存在したらしい。「大和志」は現橿原(かしはら)市和田町字トノン田(塔の田)に比定する。飛鳥・白鳳期の古瓦が同地から出土し,土壇も残る。ただし,「書紀」によれば「大野丘の北」に立てられた塔は,天平19年の元興寺縁起(山城醍醐寺所蔵/寧遺中)には「乙巳年二月十五日。止由良佐岐刹柱立,作大会」と見え,「止由良佐岐(豊浦前)」とあることから,現在の甘檮丘の西に続く丘陵とする説もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7165843