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16

勝間田池
【かつまたいけ】


「万葉集」巻16の新田部親王に献る歌に「勝間田の池はわれ知る蓮無し然言ふ君が鬚無き如し」(3835)と詠まれる。左注によると,新田部親王が勝間田の池を見て感動し,そのことを婦人に語ったところ戯歌を作って詠じたという。池の所在地については諸説があり,現在の奈良市西の京町やあやめ池南9丁目の蛙股池などにも比定されるが,薬師寺西南にあたる七条町の大池とする説が有力である。「枕草子」第38段にも「池はかつまたの池。磐余の池。贄野の池」と見える。薬師寺所蔵の「中下臈検断之引付」によれば,天正14年5月8日の評定引付に,勝馬田池の池水配分の改訂が記されている。五条・六条・七条の3か郷の分水戸分口の長さを合わせて4尺2寸,九条・観音寺の2か郷に合わせて2尺6寸となす旨が記されている。ただし,分水戸の分口が破損したゆえに改めたと記すのみであり,旧来の規定は判明しない。また,慶長11年6月12日の評定引付には,観音寺村が薬師寺の荘厳役を勤仕しなかったために,御池の分水を取り上げられたとある。その結果,五条村1尺8寸・六条村1尺7寸・七条村1尺7寸の合計5尺2寸,九条村に2尺6寸と決定され,観音寺村の分水はそのまま九条村に与えられたのである。さらに,元和5年に至り,新たに御池の井司役を申し付け,旧来の分水口の大小による池水配分に加え,4か村それぞれへ順番に流す番水の方法も取られた。現在の大池は,地元では蟇股(がるまた)池とも称する。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7166172