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倉梯山
【くらはしやま】


大和期から平安期に見える山名で,倉椅・倉橋・椋橋とも書く。別名小倉山。現在の桜井市倉橋東南方の音羽山に比定されるが,多武峰またはその北方に比定する説もある(大和志・大和志料・大和名所図会)。寺川上流域の山を称したもの。仁徳天皇がまだ皇太子であったころ,異母妹の女鳥王に思いをよせていたが,女鳥王は弟の速総別王とともに逃げて「倉椅山」に登ったとある。そこで速総別王は「梯立ての倉椅山」を詠んだという(古事記仁徳段)。貞観11年には大和国十市郡の「椋橋山河岸」が高さ2丈・深さ1丈2尺にわたって崩れ,長さ1尺7寸の鏡が発見され献上されたという(三代実録貞観11年7月8日)。「大和志」には「倉梯村上方,峰名小倉山」,「大和志料」には「多武峰村大字倉椅ノ上方ニアリ其峰ヲ小倉山ト曰フ」とある。なお「万葉集」にも「倉橋の山を高みか夜ごもりに出て来る月の光乏しき」(290),「梯立の倉椅山に立てる白雲見まく欲りわがするなべに立てる白雲」(1282)と,当山にかかる三日月や白雲が詠まれている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7166708