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曽我川
【そががわ】


古くは百済(くだら)川とも称し,舒明天皇は「百済川の側」に大宮と九重の塔のある大寺を造作したと伝承される(舒明紀11年7月・同12年是月,三代実録元慶4年10月20日条,東大寺要録巻第1,今昔物語11の16,天平19年大安寺資財帳/寧遺中)。「大和志」には,「高市郡より来り,郡の東端を流れ,河合に至り広瀬川に入る」とある。なお,藤原宮跡を縦貫する灌漑水路も百済川と称し,東百済・西百済の小字名も残る。「古今和歌六帖」には「くだら川かはせをはやみあかこまのあしのうらまにぬれにけるかも」という歌が残る。また「大和志」によると,曽我川の上流は重坂川(高市郡内)といい,曽我(橿原(かしはら)市曽我町)の地で檜前川(高取川)と合流して曽我川(高市郡内)となる。しかし,広瀬郡に入ると百済川と記されており,古くは高市郡曽我村付近の河川のみを曽我川と称したらしい。明治33年発行の高等小学校教科書に示された「大和平野図」(大和地理歴史)には,大和川に合流するまでの全河道を曽我川と記しており,明治以降曽我川の名称が現河道の総称として一般化したことがわかる。大和川の支川。1級河川。なお,北葛城郡広陵町大場地先から大和川合流点までの1.9kmは,大和川の直轄管理区間である。幹川流路延長は159.6km,流域面積は224.0km(^2)。1次支川には,葛城川・高田川・高取川・吉備川・今木川・薬水川・朝町川・満願寺川・小金打川などがあり,2次支川は26河川を数える(河川現況調査報告書)。御所市重阪から吉備川との合流地点である高市郡高取町兵庫までは断層に沿う構造谷で,直線状の河道を呈し国見山東麓で大きく曲流する。古代,巨勢氏の本拠地であった巨勢郷を貫流し,橿原市曽我町で高取川と合流する。曽我川上流を巨勢川(古瀬川)ともいう。高取川合流地点より上流では河床が低く下流域にみられる堤防決壊による洪水は少ないが,下流では天井川となる。中流・下流の河道は自然地形に反し人為的に改変されたところが多い。また,曽我川中流域の自然地形は南東から北西に傾斜しているが,曽我川の河道は条里地割に即して直線状に北流し,その集水地域は河道の西側にのみ集中している。したがって,北葛城郡広陵町神主付近から蛇行する河道周辺にはかなりの微高地がみられる。洪水を防ぐための請堤の分布も密である。現在の曽我川は磯城郡三宅町小柳で葛城川を,同郡川西町保田で高田川を合流し,同郡河合町川西にある広瀬神社北東方で大和川に合流する。なお「万葉集」には「真菅よし宗我の川原に鳴く千鳥まなしわかせこ吾こふらくは」と歌われている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7167716