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竜田川
【たつたがわ】


矢田丘陵西縁を限る段層崖と生駒山地東斜面とに挟まれた南北に細長い構造谷を流下する1級河川。上流の生駒市内では,川床勾配は緩やかで蛇行しながら南流するが,中流になると花崗岩質の岩盤を浸食し峡谷地形(近鉄生駒線東山駅付近)を呈する。生駒郡平群(へぐり)町上庄(近鉄生駒線元山上口駅付近)より下流では,また緩やかな谷底平野を流下し,同町椿井付近より大きく曲流して同郡斑鳩(いかるが)町神南で大和川に合流する。流長41.6km,流域面積52.5km(^2),流域に占める山地比率が91.4%と高い山地性河川。現在は,大和川の1次支川を竜田川というがこれは近世以降の名称であって,古くは上流部を生駒川(胆駒川),下流部を平群川と称していた(古今目録抄)。古来,詠歌の名所である竜田川は,竜田本社(本宮)東方の大和川の部分名といわれており,河川名の由来は本宮鎮座の地名「竜田」によると考えられる(竜田越)。竜田川の名は「万葉集」にはないが,紅葉の名所として勅撰和歌集だけでも120余首に及び,特に在原業平の「千早ぶる神代もきかず竜田川紅いに水くぐるとは」(古今集),能因法師の「嵐吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」(後拾遺集)などが有名。ただしこれらの歌に詠まれた竜田川は,大和川本川と考えられる(地名辞書)。現在の竜田川も紅葉の名所であるが,これは寛政12年地元住民が竜田川畔にカエデを移植し,保護育成策をとったことによる。竜田川の現河道は,慶長19年片桐且元が竜田に築城の際,竜田川(平群川)を外濠に利用するための河道を改修したもので,当時は竜田川畔にカエデは1本もなかったと記されている(和州巡覧記)。近世以降,カエデの移植とともに紅葉と源氏ボタルの景勝地となった。高度経済成長期以降,竜田川流域の宅地開発は急速に進展し,造成地での崖崩れや土砂流出などの災害も多い。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7167926