100辞書・辞典一括検索

JLogos

8

剣池
【つるぎのいけ】


大和期~平安期に見える池名。「古事記」応神段に「剣池を作りき」,応神紀11年10月条に「剣池・軽池・鹿垣池・廐坂池を作る」と見える。舒明天皇7年,「瑞蓮,剣池に生ひたり,一茎に二つの花あり」(舒明紀7年7月是月条),皇極天皇3年にも「剣池の蓮の中に一つの茎に二つの蕚(はなぶさ)ある者有り」と見え,豊浦大臣(蘇我蝦夷)はこれを蘇我臣が栄えるきざしと考え,金泥で描き,法興寺の丈六仏に献上した(皇極紀3年6月戊申条)。このことは,剣池の島上に孝元天皇陵が所在し,孝元天皇が蘇我臣の先祖とされていたことに関係する(古事記孝元段)。孝元天皇陵については,「陵は剣池の中の岡の上に在り」(古事記孝元段),「大日本根子彦国牽天皇を剣池島上陵に葬りまつる」(開化紀5年2月壬子条),「剣池島上陵。軽境原宮御宇孝元天皇。在大和国高市郡。兆域東西二町。南北一町。守戸五烟」(延喜式諸陵寮)と見える。「万葉集」巻13に「御佩(みはかし)を 剣の池の 蓮葉に 渟れる水の行方無み」(3289)と歌われる。剣池には蓮が多く生じていたことが知られる。現在の橿原(かしはら)市石川町の石川池に比定され,島上陵は石川池南方に突出した小丘とされている。剣池とは剣のように細長い形状をした池を示すか。ちなみに,承保3年9月10日大和国高市郡司刀禰等解案(東大寺文書/平遺1134)には「豊瀬(浦カ)庄」内の池五ケ所の1つに「剣池」が見える。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7168144