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多武峰
【とうのみね】


田身嶺・大務(書紀),談峰(旧跡幽考),多牟(法華験記),談武(増加夢記)とも書く。桜井市南部,寺川上流一帯の総称。藤原鎌足を祀る談山神社をさして多武峰と呼ぶこともある。談山神社の北側の標高607.7mの御破裂山を主峰とする。「万葉集」巻9に「うち手折り多武の山霧しげみかも細川の瀬に波さわぎける」(1704)とあり,多武峰より細川谷を下れば飛鳥の石舞台古墳の近くに至る。中臣鎌足と中大兄皇子がこの地で蘇我入鹿討伐の計画を練ったことから,談山神社の背後の森は「談所ケ森」といわれる。また「三代実録」によれば,「贈太政大臣正一位藤原鎌足多武峰墓」が大和国十市郡にあると見える。「延喜式」諸陵寮には「多武岑墓贈太政大臣正一淡海公藤原朝臣。在大和国十市郡。兆域東西十二町。南北十二町。無守戸」と見え,多武岑墓は藤原不比等の墓とするが,不比等の墓が後世まで佐保山に存在していたことは明らかなので,当地の墓は鎌足の墓とせざるをえないであろう。多武峰のタムはタワの転じたもので,丘陵の尾根の低くなった鞍部をタワと称した。タワは稜線のたわんだ所,山のタワミである。タワ・タフは峠を意味する地形語であり,タワ越が峠に転訛した。当地は吉野と並んで神仙思想と深く結びついていたらしく,山上に周垣のある施設と道観(道教寺院)様のものがあったことが知られる。当地名は平安期以降も「今昔物語」「宇治拾遺物語」「栄華物語」「平家物語」ほか数多くの文学作品に登場する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7168232