100辞書・辞典一括検索

JLogos

21

有田川
【ありだがわ】


高野山から陣ケ峰の山稜を水源とし,有田郡清水町から西に蛇行しながら流れ,有田市箕島で紀伊水道に注ぐ川。2級河川。全長約94km,流域面積467.8km(^2),河川箇所表による総延長67.2km。古くは阿提川・安諦川・阿氐川・当川・阿手河などと書き,「あてがわ」と読んだ。「中右記」天仁2年10月18日の条に「有田河借橋」と見え,その後は有田川・在田川が多く用いられた模様。近世に至り郡名表記が有田となり川名も有田川に定着した。最上流部は御殿(おど)川と称し,支流には湯川川・四村川・修理(すり)川・玉川・五名谷川・早月谷川・伏羊谷川・長谷川などがある。流域の地質は秩父帯と日高川帯で,秩父帯は北・中・南の3帯に分かれ,北・南の2帯は古生層からなり,中帯は白亜紀を主とする中生層で,有田川盆地(有田川地溝帯)と呼ばれる。秩父帯と,その南の四万十帯の境界線をなす仏像糸我構造線が,有田川北岸を走るが破砕が著しく,そのうえ大量の水を含む地域が多く,幅数mから数十mの破砕帯となり,集中豪雨の際は山崩れを起こしやすい。昭和28年の大洪水のときは,有田川流域で大規模な急性型地滑りが9か所に起こった。中でも金剛寺・北寺(伊都(いと)郡花園村)の崩壊地は有田川を一時せき止め,流路を移動させた。下流部は御荷鉾構造線に相当する地域を流れ,東西約20kmの細長い平野をつくり,宮崎ノ鼻・苅藻島などの沿岸島とつながる。有田郡の吉備町・金屋町には河岸段丘が発達し,柑橘園として利用され,上流の清水町・伊都郡花園村にも高低2段の河岸段丘が発達し,川沿いで清水町の粟生・二川・三田・清水・久野原・板尾・押手,花園村の梁瀬・中南などに細長く分布する。相ノ浦・杉野原・大野には複式環流丘陵が発達している。有田川は穿入蛇行谷で,特に蛇行の激しい地域は,梁瀬から板尾地区,清水・三田地区,粟生・川口地区。四万十帯に属する日高川・日置(ひき)川・熊野川には及ばないが,蛇行指数が大きい。有田川は古来荒れ川として知られ,「続風土記」にも各地の水害の記事がみられる。現在も上流部は,険しい谷壁の間の広い河原を人頭大の礫が埋める,十津川型の荒廃河川となっている。昭和28年の洪水の傷跡である。沿岸には古来,高野山への参詣道が通じ,竜神街道・熊野街道が交差し,江戸期には渡しが設けられていた(名所図会)。有田ミカンで知られるように,流域では古くから柑橘類が栽培された。江戸期には北湊村(現有田市)に蜜柑方会所が設けられ,川船で運ばれたミカンは同所で廻船に積み換えられて江戸へ送られた。また木材の筏流しも歴史が古く,その記録は鎌倉期にさかのぼり,貞応3年と推定される10月20日付行慈書状には「塔材木は,皆とりて,在田河のはたへ曳出て候,今明筏下沙汰し候」とみえる(神護寺文書)。流域にはアユが多く,現在でも金屋町・吉備町・有田市宮原町地区の沿岸では鵜飼によるアユ漁が伝えられ,県無形民俗文化財に指定されている。鵜匠が松明を持ち,徒歩で川を渡りながら片手で1羽の鵜の手綱をさばく,素朴な漁法を保つ。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7170311