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浦神湾
【うらがみわん】


東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町南部の入江。北東から南西に長く,湾口から湾奥まで4kmあり,湾口の浦神半島の耳の鼻と下里の磯崎の山見の鼻の距離は1.5km。湾央でくびれて岩屋崎と弁天崎の距離は約250m,これより湾奥は袋状になっており,浦神港となっている。標高約100m,幅1.3km,長さ3.3kmの浦神半島が東に延びて,熊野灘の荒波と暴風時の風を防いでおり,この半島の対岸も同じ標高の山地で,西風を防ぐ地形になっている細長い峡湾である。水深は深く,波静かで船舶の好錨地であり,避難港となっている。動力船にとっては浦神港は最良の港であるが,帆船時代には,湾口に立石をはじめとする斗入する島や岩礁や水面下に伏している岩礁があり,また,湾幅が狭い上に風向きの変化の多いこともあって入港は困難であったという。浦神の集落は湾を隔てて南北相対しているが,山が海に迫り,平地は少なく,家は密集しており,奥深く,波静かな天然の良港であったため,古くは旅漁船も多く集まり,カツオ釣りの漁場も近いため基地になり,熊野灘沿岸漁村の中でも屈指のカツオ漁業地であった。第2次大戦後,カツオ漁業も生餌のイワシの不足ですたれ,それ以後磯漁業と火光利用棒受網漁業や引縄漁業に変わってきた。昭和30年代には浦神を代表した漁業に波静かなことを利用して真珠母貝養殖が始まり,一時期は湾を埋め尽くすほどの筏の数であった。しかし,真珠の不振と,貝に害虫が寄生し品質を落としたため,昭和40年の初めごろにはすたれて今は面影はない。現在,ハマチ・カンパチ・タイなどの養殖がこれに変わっている。ハマチ養殖は種苗が地元の沖合いで入手できること,養殖魚の越冬不可能な地域といわれる瀬戸内海と異なり水温が高く,越冬して価格の高い1~3月に出荷できる有利さがこの漁業の安定と発展に寄与している。浦神港は昭和16年から同53年まで,紀州鉱山の銅を中心とする鉱石の専用積出港であったが,同53年鉱山不況で紀州鉱山は閉山となり,鉱石積込専用桟橋も今はない。浦神湾周辺は吉野熊野国立公園の中にあり,海岸線は風光明媚なところである。湾内にある名勝の玉の浦は万葉の古歌にも数多く詠まれている。玉の浦にある海水浴場は遠浅で波も静かなため,子供連れの家族が多く,夏期には5万人ぐらいの利用者でにぎわう。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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