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尾岩坂
【おいわさか】


有田(ありだ)郡金屋町にある坂道。有田地方には,昭和57年現在,5本の主要地方道と22本の一般県道が走る。この中で,主要地方道有田高野線は有田市安諦(あで)橋から,有田川の北岸を東進し,金屋町に入り,長谷川谷から尾岩坂トンネルを経て川口に出る。さらに東進して清水町を縦貫し,高野町に達する。尾岩坂トンネルが昭和47年3月に完成したが,トンネル上部の山道が,従来尾岩坂といわれてきたものである。明治のころの俗謡に「とろりとろりと長谷川谷を,汗を背にして尾岩坂」とあるが,奥有田に向かう人々は,長谷川谷にさしかかり,一本調子の緩傾斜の長谷川谷の長い道を歩いていると,自然にゆっくりした足どりになり,眠気さえ催すが,一度尾岩坂にさしかかると,一転して右に左に急カーブの山道を汗だくになって上った様子を面白く歌ったもの。坂は200mほどの低い峠道で従来この峠が有田地方を二分し,当坂以東の地域を奥有田と称し,交通の難所であるとともに,気象現象をはじめ,人々の生活様式や産業のうえでも大きな相違を示していた。「有田郡誌」「金屋町誌」によると,明治のはじめごろ,熊野街道に接続する金屋往来(吉備町明王寺(みようじ)~金屋町中野間)は次第に交通量が増加し,そのため時の有田郡土木係田中善左衛門の尽力によって明治17年9月,従来の狭隘な道路が拡幅改修された。また,金屋往来に接続している保田往来(山保田街道ともいう。現在の有田高野線金屋以東の県道)も当坂を中心に明治18年3月金屋~川口間の改修工事に着工し,同年8月完工した。当坂は道幅も8尺(約2.5m)となり,車の通じる道路となった。明治29年3月,県費支弁の里道から県道に昇格した。同44年にはさらに改修工事が進められ,道幅も1間5尺(約3.3m)になり,さらに大正の末にも改修が行われた。このように再三にわたる改修工事で,次第に拡幅整備されて昭和を迎えた。昭和28年7月18日,県下を襲った豪雨により,奥有田では地滑りとあいまって,被害は甚大であった。その後の災害復興により,拡幅工事と完全舗装が実施された。さらに交通量は車を中心に増大,当坂は交通上の一大難所と化した。そこで県はトンネルを計画,総工費2億2,333万円を投じ,延長325.3m,車道5.5m,両側に歩道1.1mのトンネルを昭和47年3月完成した。尾岩坂は現在,町道として払い下げられ,農道として利用されており,昔日の面影はない。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7170669