100辞書・辞典一括検索

JLogos

13

背山
【せのやま】


紀ノ川中流右岸,伊都(いと)郡かつらぎ町の穴伏川が紀ノ川と合流する地点の北東部に位置する山。標高167.6m。「日本書紀」大化2年の正月1日条に見える,いわゆる大化改新の詔に畿内の南限として「南自紀伊兄山以来」と記される兄山がこの山に比定されている。なお「日本書紀」には「兄,此云制」という割注が付けられている。山頂は2つの峰からなり,「続風土記」には大字背ノ山側の峰を鉢伏山,大字高田側の峰を城の跡というと記す。また地名の由来については「兄山は則狭山の義にして地形其名の如し」と記しているが,これは背山と対岸の妹山によって紀ノ川の川幅が狭くなっていることをさすと思われる。背山と妹山の間には,紀ノ川の中州である船岡山がある。なお,貝原益軒は南遊紀行(益軒全集7)に「此山は川瀬の中にあれば,瀬の山也」と記しているが,背山と船岡山を混同している。背山は「万葉集」に単独で6首が詠まれている。巻1には「背の山を越ゆる時の阿閉皇女の御作歌」として「これやこの大和にしてはわが恋ふる紀路にありとふ名に負ふ背の山」(古典大系)が所収されている。このほか背山を越えると詠んだ歌が2首あり,南海道(紀路)は背山を越えるルートをとっていたものと考えられる。背山の語感によって,兄から妹を連想させ,妻恋いの歌も多い。巻7には「妹に恋ひわが越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるが羨しさ」(同前)と見える。背山を単独に詠むばかりでなく,対岸の妹山とともに詠んだり,背山と妹山を1つのものとみなして妹背山と詠んだ歌もあり,歌枕となる。なお「万葉集」でこの地を詠んだ歌が14首あり,紀伊国の歌枕では最も多い。永承3年の宇治関白高野山御参詣記(続々群5)10月17日条に,紀ノ川を粉河(こかわ)寺まで下る途中に背山付近の模様を記している。「名所図会」にはこの図が収められている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7172186