100辞書・辞典一括検索

JLogos

11

那智湾
【なちわん】


東牟婁(ひがしむろ)郡那智勝浦町の勝浦温泉地区北側に位置する湾。国鉄紀勢本線の那智駅のある濱の宮地区を中心として,北東4kmの宇久井の駒カ崎,南東2kmの大勝浦の鼻に抱かれ,奥行2kmの湾である。3kmの湾口は東に開き,熊野灘に続いている。湾内には流長9kmの那智川が那智の滝の水を集めて注いでいる。湾内の施設には第1種漁港の那智漁港(濱の宮)と小金島漁港の2港と,栽培漁業センターがある。栽培漁業センターは,昭和54年本県が栽培漁業振興施設として,大勝浦弁天島前を埋め立て建設したもので,アワビ・ヒオウギの種苗生産,栽培漁業技術の開発研究をしている。藩政時代の那智湾は地引網・南北網などの漁業がみられ,また那智川河口港の天満港が帆船の千石船の港で,那智・天満・勝浦への物資が陸揚げされた。しかし,現在ではその面影は全く残っていない。那智湾の海岸線をみると,中央の濱の宮は細かく美しい砂浜海岸であり,北東の赤色海岸は岩石海岸,南東の大勝浦は岩礁海岸となっている。那智駅のホームのすぐ下が遠浅の美しい砂浜で,1.2km続き,浜の宮海岸・丹敷浦・那智浦などと呼んでいる。全国的に公害のない美しい自然海水浴場の中でも有数の海岸である。この海岸は,勝浦温泉から1.5kmと隣接することや,交通道路の整備により,地元だけでなく都市の若者や家族連れ客で夏期レジャーの中心となっている。年間の海水浴客は約30万人を数え,湾内の赤色海岸や,天満海岸ではサーフィンを楽しむ若者も増加している。このことから,那智駅の付近には,昭和34年建設の公営ユースホステルや民宿が増加し,夏はにぎわいをみせるようになっている。那智駅から約150m,徒歩2分の所に補陀洛渡海で知られる天台宗補陀洛山寺がある。補陀洛渡海とは,南海の孤島にあると信じられた観音浄土に渡ることである。これは,実際には入水往生を意味し,1tぐらいの屋形船に水や食糧を約10日分積み込み,船の中から出られないように外から釘を打ちつけ,生きたまま熊野灘に流された。平安期から江戸期の享保7年まで,補陀洛山寺の住僧や渡海希望者らが渡海20度に及び,136人が船出しており,その記録が残されている。那智湾内には,渡海に関係のあった名前の島がある。那智の浜から約1kmの所に金光坊島があるが,島名は,補陀洛山寺の住職金光坊が生きながら渡海させられるのを拒否して,渡海船の板壁を破ってこの島に上陸したのを見つけられ,この島で殺害されたことにちなむ。また,以後渡海の風習はなくなったという。今も5万分の1の地図に名称が残っている。ほかに,補陀洛渡海の船の綱を切ったという綱切島や,渡海船が帆を立てたという帆立島,平維盛の入水の場所という山成島などがある。渡海上人の墓は補陀洛山寺の近くに現存する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7172784