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鵜の池
【うのいけ】


日野郡日野町下榎,標高405mの所にある周囲4km,水深12m,池面積0.19km(^2)を有する池。自然の沼池に人工の施設を加えて水量を増し,導水路,発電所,灌漑用水路をもうけて多目的に水を利用している。人手が加えられた歴史は古く次のような記録が残されている。「黒坂宿尾形家九世長蔵世享該地作用せしむことを欲し,文化元年自から資を投じ四囲に繁茂せる杉木等を伐採し,堤を築き用水は下黒坂村の灌漑に供し」(郡勢一斑),また,伯耆志は池が減水した時,大杉の株が見られた事を伝えており,もとは小さな沼池であったと考えられる。昭和14年,広島電気株式会社(現中国電力)が発電利用に着目し,日南町吉鑢(よしだたら)に貯水ダムを,鵜の池に50mの堰堤を築き,この間約8kmに導水路をひいて水量を増し,従来の下黒坂地区20haの灌漑用水以外に発電にも利用するようになった。この時点で水深12m,池水面405m(^2),有効容量183m(^3)を有し,193mの落差を利用して出力1万5,000kwの発電を行っている。鵜の池周辺は豊かな自然に恵まれ,県の鳥に指定されている「おしどり」の生息地として知られている。この池の成因と名称の由来について次のような伝説が伝えられている。慶長年間,関一政が伊勢亀山城より黒坂に転じ遊山したとき,山中に池を発見して驚き,古老に池の由来を聞いた。それによると原因不明の火事により,スギ・ヒノキの森林が焼き払われ,その火勢によって生じた上昇気流による豪雨で一夜のうちに池ができたという。榎村の卯野左内という浪人に美しい藤という娘があった。ある日,村娘と池のまわりでワラビ狩りをしていたところ,誤って池に落ち水死した。その夜,母親の夢枕に娘があらわれ自分は下界に生まれてきているが,本来は天上の神であることをつげたという。そのため藤は神に祭られ,この社を藤ケ森と呼んだ。それ以来卯野の姓にちなんで,卯の池と呼ぶようになったという。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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